2020年09月12日
北大武山−11:西大武山
【写真説明】以前の投稿で紹介したようにこの山の山頂迄足を延ばしたのは2004年2月である。確かそれ以前に一緒に雪山に登った時のメンバーの一人が声を掛けてくれ、当日この殆ど無名の山のみを目指した。旧登山口から檜谷山荘へのルートの途中で西側へ辿る分岐点があり、布条等で目印がしてある。今回その分岐点に往き当たった時は懐かしい気もしたが、再度辿ってみようと云う気は全く起こらず。当時の印象が一切残っておらず、先ず、その分岐点から山頂迄の距離をイメージ出来ないことが一番の不安だった。左写真は2020年の山行時に撮影した分岐点の表示、中央写真は中途の景観、右写真は西大武山山頂の台湾総督府殖産局森林課埋定の三角点、標高1,894b。下掲の写真は「北大武山−9」で紹介した観景台、標高凡そ2,150bから北側、即ち登山口方向の眺望、手前の稜線の一番左側ピークを西大武山と呼んでいるようだが、同じ稜線上の別のピークも筆者手元の市販地図には同じ表記がある。その後方稜線の左側ピークは日湯真山(ピュマ山、標高1,702b)、右端ピークが鱈葉根山(タラバコン山、同1,556b)、いずれもパイワン族旧部落名である。(続く)
2020年09月26日
北大武山−12:南大武山
【写真説明】南大武山(標高2,841b)登頂後に北大武山カテゴリーとして投稿記事を足し込む予定にしていた。既にこのブログの中で何回か言及したのだが、2016年年末当時の筆者の体力を考慮し、通常三日間とされる山行を四日間組んで臨んだのだが、大雨の為二日で下山した。当時撮影した写真を見ると、駐車した場所、そこからクワルス渓(現代台湾表記「瓦魯斯渓」)を渡河、廃棄された南大武林道を探し出すのに一苦労、一日目の宿泊地である佳興山荘(林務局工寮)(登山口から11`地点、標高1,300b)に辿り着くまでの写真が一枚も残っていない。又、撮影した全ての写真が濡れそぼったカメラを即座に連想させる。登山道延長は約19`(駐車・渡河地点で2`程度はプラスする必要あるかもしれない)、落差は2,600b、大部分は既に朽ち果てた林道を辿る。惨めな山行の果てに辿り着いたのは、登山道が林道を離れる地点(15`)近くの吐蛇流山三角点、登山口から13.5`地点である。この時の強烈な印象は、一つは、嘗ては作業車が往き交っていたであろう林道とその沿線がすっかり南台湾のジャングルに呑み込まれたおどろおどろしい景観、二つ目は、山荘とは名ばかりの工寮の荒れ振り、三つ目は、筆者自身の急激な体力の衰えを認識する羽目になったことである。標高260bのクワルス渓底の登山口周辺の写真が皆無なので、今回の南大武山紹介記事は、山行第一夜の露営地と云う表現が似合う佳興山荘の紹介からスタートする。「佳興」とは現在の屏東県泰武郷佳興村、日本時代はプンティ社と呼ばれていたパイワン族の集落である。現在の集落はクワルス渓右岸の高台に移遷しているが、旧部落は、同渓の左岸側、正に南大武山の登山道途中に位置しており、クワルス渓を挟み、お互いに対峙する位置関係にある。以上は迂闊にも下山後判ったことである。嘗て、佳興村を訪ねた時、旧社の在処を尋ねたのだが、答えて貰えなかったのだ。(続く)