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奇莱山南峰に登頂したのは然程昔でも無かろうとぼんやり記憶していたのだが、実際は2010年11月、危うく十年になろうとする。
奇莱主山南峰、南華山(能高山北峰:百岳75号、標高3,184b)の百岳二座、その長い鞍部上にある天池(池塘)、その名前を借りたこれら二座の登山基地である天池山荘、加えて、南峰から南側稜線へと辿る深堀山。。。これらの点景は過去弊ブログ『台湾古道』「能高越嶺古道」カテゴリーの中で写真掲載も併せ書き尽くした感がある。『台湾古道』ブログの左メニュートップの検索欄をご利用頂くことをお薦めする。
北峰、主山の順に奇莱主山主脈を辿りながら南峰へ至る方法はあるが、主山と南峰間が音に聞こえた難路、一般のハイカーは、一日目に能高越嶺古道西側入口から入山、能高山、安東軍山方面の登山基地でもある天池山荘まで至り、翌日、奇莱主山南峰と南華山の百岳二座を日帰りで征することが出来るのでハイカーに人気がある。
但し、2015年10月になり漸く改装完了、鳴り物入りで開放された天池山荘(「能高山越嶺古道−22」)は恐らく複数の管理団体が同居している理由で、兎に角猥雑だ。例えば、厨房への出入り口付近は煙草の吸殻が散乱している。天池山荘は台湾の高山山荘の中では玉山下の排雲山荘を含む数少ない食事が供される山荘であるが、このサービスが山を駄目にすると云うのが筆者の持論である。
天池(「能高越嶺古道−6」)とは天池山荘上方の鞍部に池塘があるからだ。天池山荘脇からこの池塘に到るまでの約1時間の登りはきつい。天池は天池山荘−南華山−奇莱主山南峰方面への三叉路である。そこから平坦な登山道を北側に約半時間辿ると南峰と主山方面への三叉路に行き当たる。南峰へはそこから西側へなだらかに見える丘を越すだけで良いように思えたのだが、実際は一時間半程度の苦しい登りだった。南峰南側、日本人の名を冠した稜線続きの三千b峰深堀山(「能高山越嶺古道-25:精英村平静(2)」)があるのだが、南峰登攀時はこの深堀山の名とその由来に関しては無知だった。
天池山荘から奇莱主山南峰まで片道約三時間の登山ルートのイメージは天池、主山・南峰三叉路、南峰、そして稜線続きの深堀山、南華山方面で出来上がる。総じてなだらかなスロープを巡る山行が約束されることをダイヤグラムに盛り込んだ積りだ。尚、当ダイヤグラム中の白線が登山道である。(終り)
2019年09月14日
2019年09月28日
奇莱主山南峰−1
【写真説明】左写真は2017年10月、能高山登攀を猛烈な雨風で断念した際に撮影した新装天池山荘、建築意匠が日本風家屋になっているのは、日本時代同地に鎮座していた能高神社を意識しての事だと思う。天池山荘裏側に天池への登り口(海抜2,860b)がある。最初は2004年11月、次回紹介する南華山(能高山北峰)へ登る為、二回目は2010年11月、奇莱南峰へ登る為、奇莱山方面と南華山方面の三叉路(同3,095b)まで―そこに池塘が散在する、玉山箭竹が覆い被さる凡そ1`、落差240b、一時間弱の急坂を利用した。その登りのイメージが中央写真、北西方向に玉山箭竹に覆われたなだらかなスロープを擁する深堀山山裾が見え出すと長い登りに萎えた足に力が入る。丁度朝陽が強く当たる時間帯だったので、右写真の印象は二回とも強烈。(続く)