2019年03月02日

郡大山−12

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【写真説明】望郷山から郡大山主峰までの稜線と眺望は初回の登攀の際、堪能し尽くしたと云う鮮烈な記憶があるので、当時の印象を掻き集めながら登山道を辿ったのみ。既に4月であり暑い。馬酔木(あしび)が満開だった。今回の登攀の際、初回時は恐らく見逃していたものを三枚選び出した。左写真は稜線上の池塘(天池)、既に水は干上がり蒐場(ぬたば)となっていた。主峰頂上には、二等三角点以外に森林三角点(中央写真手前)も埋定されていた。馬酔木もこれだけ繁茂すると背景の玉山連峰に引けを取らない。(終り)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 郡大山(第52座:3,292m) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月16日

俯瞰図:奇莱主山北峰

[←俯瞰図はココをクリック]

「台湾五嶽・一奇」の一奇に登ったのは2003年10月、もう十五年も前のことだ。爾来看るだけの山岳で在り続けている。「単攻」(単日、即ち24時間以内に登頂・下山を完了)の対象にもなっている(本当に今でもそんな猛者がいるだろうか?)ので、然程登攀困難な山とは思えない―登山口である旧蒋介石行館松雪楼(海抜3,150b)から先ず下り一方、最低点、黒水塘小屋(2,750b)に至る。この間落差約400b。登りに転じ、通常一泊目サイトとなる成功堡山屋(同2,860b)を経て、北峰頂上(3,607b)迄。この間落差約900b。登山道総延長7.5`。それでも、台湾ハイカーが是非とも登頂したい一座であることは間違い無い。「奇」とは奇異で豪快な山容を想起させるのと掛け合わせたものだろうか?俯瞰図は登山道と行政区画境界線とほぼ一致していることを示したかった。

十五年を経ても尚強烈な残照は三つある;一つは成功堡山屋周辺の排泄事情の惨状(「足の踏み場も無い」−何処かでコメントした記憶あり)、二つ目は通常主北三叉路と呼ばれる北峰方面と奇莱主山方面の分岐点から北峰稜線に至るまでの手掛かり・足掛かりに乏しい急斜面の登り、もう一つは、頂上直下の鎖場。。。

実は筆者の百岳・古道ブログの中で過去かなり奇莱主山に言及している。その中から奇の奇たる由縁にコメントした部分を抜粋し、奇莱主山の最初の投稿を閉じることにする。抜粋コメント中の学生とは成功大学のそれであり、上記の山小屋の命名は、登頂成功の意味では無い。何れも2007年5月の投稿:

それにしても、奇莱主山の標高は既に3,500メートルを越えているのだが、本当に奇莱主山まで開鑿したのだろうか?台湾を代表する山岳を表現するのに「五嶽、三尖、一奇」という言葉が使われる。玉山と雪山は五嶽の雄である。一奇とは奇莱主山のことで、一つしかない特別な山の意味である。台湾の現代登山史上、最多の遭難者を出した山である。尤も奇莱主山は、北峰、主峰、南峰から成り、通常奇莱主山を代表するのは北峰(台湾百岳15号:3,608メートル)である。現在の古道は南峰のはるか南側を通っているので、記念碑上の奇莱主山とは、奇莱主山に続く稜線の意であろう。(台湾古道ブログ『能高越嶺古道−9』より)

ところで、奇莱山で近代台湾登山史上最悪と言われる遭難事件が発生したと書いたが、1970年代に二件発生し、遭難者はいずれも学生、死亡者は合計11人。無論、気候の相異が山岳遭難には大きな影響を与えるが、日本では毎年何人の山岳遭難者が出ているかご存知だろうか?日本人は余りにも山で命を粗末にし過ぎているようであるし、今後中高年の登山は更なるブームになることを考えたらこの傾向は今後も必定だ。(台湾古道ブログ『能高越嶺古道−10』より)(終り)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 百岳俯瞰図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月30日

奇莱主山北峰−1

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【写真説明】旧蒋介石行館の松雪楼奥にある奇莱主山登山口付近の写真はこれ一枚だけである。その後、昨年合歓山東峰に二回目の登頂をした際に、松雪楼正面玄関の標高3,150bを示すプレートとか、同峰と奇莱主山登山道分岐点の指導標とか確かに撮影した積りでいたがそれらも残っていない。ここに掲載の写真はしかも奇莱主山北峰、主山の登頂を終え登山口に戻って来た際撮影されたものだ。逆に、その前々日に登山口を出発したのだが、何時頃出発したのか?もう2003年11月の事ゆえ手掛かりが無い。推測するに、同日早朝に高雄市を出発し、第一泊目の成功堡山屋まで駆け下りたことになる。なにせこの第一日目に撮影された写真が1枚も無い!土砂降りだった可能性がある。登山口から同山小屋までの距離は二時間半程度なので無謀とは言えないが、今の筆者には登山口まで当時5〜6時間運転してそのまま歩き始めるのは無理である。登山口に立ち雨にでも遭えば登山そのものを中止してしまうのが今現在である。当時は若かったということだ。因みに、掲載写真の撮影時間は午前11時過ぎ、そのまま高雄市まで戻ったはずだ。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 奇莱主山北峰(第16座:3,607m) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする