


【写真説明】今回から「一奇」の投稿を開始する予定だったが、合歓山連峰から離れる前に、去る9月に約15年振り(初回は2003年8月)に同峰に登る機会があり、その際に珍しい物を目撃したので紹介することにした。珍しい物とは、嘗て台湾唯一のスキー場が同峰東斜面にあり、その遺跡たるリフトの残骸である。このスキー場が営業を停止したのは、東峰登山道途中にある林務局の案内板に依ると「民国74年」、つまり1985年、もう三十余年前となる。では営業を開始したのは?筆者はまだ探し当てられずにいる。
三十年もそのままに雨風に晒されたままにして置かれると、その物は廃墟の美を輝かし始める−そんな事を筆者の「台湾古道」ブログの何処かで書いた記憶がある。合歓山スキー場のリフトの赤錆びた残骸はもう十分にレジャー古蹟ならぬ産業古蹟としての確固たる地位を築こうとしているのは、今や一本に絞られた、松雪楼(旧蒋介石行館)後方に設けられた東峰登山口から登り始め、廃棄されたリフトを、東峰斜面全体が「玉山箭竹復育区」に指定された緑の海原の中に見出した時に感得出来るのである。
登山口の松雪楼の海抜が3,150メートル、合歓山東峰山頂が3,420メートル、登山道の総延長が約1キロ、リフトの最上段は登山道500メートル付近に位置するので、単純計算して、リフトの海抜は3,200メートル前後か?少なくとも日本には存在しない。
最後に、もう一言―筆者自身は台湾での山登りを始めた頃から、嘗て東峰東斜面に台湾唯一のスキー場があり、既に閉鎖されている知見はあった。では何故、当時のリフトが現存していることを知らなかったか?理由は単純で、初回東峰登攀の際に、北側登山口を選択したからだ。当時は、東側登山口に加え、北側(合歓山荘向い側)と南西側(武嶺起点)から登られていたが、現在は玉山箭竹保護の為、東側登山口以外は閉鎖されている。(終り)