2018年11月10日
合歓山東峰−4
【写真説明】今回から「一奇」の投稿を開始する予定だったが、合歓山連峰から離れる前に、去る9月に約15年振り(初回は2003年8月)に同峰に登る機会があり、その際に珍しい物を目撃したので紹介することにした。珍しい物とは、嘗て台湾唯一のスキー場が同峰東斜面にあり、その遺跡たるリフトの残骸である。このスキー場が営業を停止したのは、東峰登山道途中にある林務局の案内板に依ると「民国74年」、つまり1985年、もう三十余年前となる。では営業を開始したのは?筆者はまだ探し当てられずにいる。
三十年もそのままに雨風に晒されたままにして置かれると、その物は廃墟の美を輝かし始める−そんな事を筆者の「台湾古道」ブログの何処かで書いた記憶がある。合歓山スキー場のリフトの赤錆びた残骸はもう十分にレジャー古蹟ならぬ産業古蹟としての確固たる地位を築こうとしているのは、今や一本に絞られた、松雪楼(旧蒋介石行館)後方に設けられた東峰登山口から登り始め、廃棄されたリフトを、東峰斜面全体が「玉山箭竹復育区」に指定された緑の海原の中に見出した時に感得出来るのである。
登山口の松雪楼の海抜が3,150メートル、合歓山東峰山頂が3,420メートル、登山道の総延長が約1キロ、リフトの最上段は登山道500メートル付近に位置するので、単純計算して、リフトの海抜は3,200メートル前後か?少なくとも日本には存在しない。
最後に、もう一言―筆者自身は台湾での山登りを始めた頃から、嘗て東峰東斜面に台湾唯一のスキー場があり、既に閉鎖されている知見はあった。では何故、当時のリフトが現存していることを知らなかったか?理由は単純で、初回東峰登攀の際に、北側登山口を選択したからだ。当時は、東側登山口に加え、北側(合歓山荘向い側)と南西側(武嶺起点)から登られていたが、現在は玉山箭竹保護の為、東側登山口以外は閉鎖されている。(終り)
2018年11月24日
「台湾百岳」について−10:「元標」
【写真説明】本投稿は弊ブログ「台湾古道」の2018年10月06日付け「八通関古道竹山段−13」で投稿したものの再録である。本来、当該ブログの投稿記事として相応しいものと考えたからだ。左写真は竹山市街地内の南投県政府警察署竹山分局と竹山郵便局が隣接する前山路(同写真正面)と集山路(同写真左側)の公差点に立つ時計台。その袂に、日本時代の地形図製作の為の測量原点「元標」(中央写真)が保存され、二段抜きの案内板(右写真)が立つ。同写真上に「100余年前(明治33年)の日本人は、どの様にして三角点を利用し山頂の海抜を算出したのか?」と読める。「元標」には「標高五百十四尺」と刻まれている。以上、2016年7月撮影。
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