▲[←俯瞰図はココをクリック]
今回の俯瞰図は筆者未踏の北北峰(標高3,833m)まで辿り着いたらどんな俯瞰になるのか?将来何時かはその頂を踏むという誓いと期待を込めて、新高山を中心に東西南北全山が視野に入るように描いた。
さて、玉山主峰、即ち新高山(にいたかやま)については、本ブログでも、筆者の別ブログ「台湾古道」でも書き尽くしてきた感がある。しかも前回はとうとう富士山まで登場願った。そこで、これから数回は2008年1月5日にメルマガ『台湾の声』に掲載された「玉山古道−余話」の全文を掲載することにした。
「玉山古道」とは日本時代から戦後も暫く使われていた新高山登山道のことで、現代の登山道とのコースの違いはこれまで本ブログ中で処々言及して来た。この「余話」とはこれも過去数度引用してきた、黒川直氏作成、昭和8年に社団法人台湾山岳会から発行された五万分の一「新高登山地図」に纏わるエピソードだ。尚、この新高登山地図のコピーは、以前は台湾の複数個所のサイトから自由にダウンロード出来たのだが、最近それらのサイトを確認したらサイト自体は存在するもののどうもダウンロード出来ない模様だ。閲覧を希望する方は、本ブログ主宰者に遠慮なくご連絡頂きたい。
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2013年03月02日
2013年03月22日
新高山(にいたかやま)−1
【写真説明】左二枚は新高山頂上直下の登り、2003年4月27日午前5時57分と6時5分、右写真は頂上から望む同日6時20分の撮影、当日の旭日は中央山脈最高峰、秀姑巒山(百岳6号、3,825メートル)頂上から出た。その左右に馬博拉斯(マボラス)山(同7号、3,785号)と大水屈山(同13号、3,462メートル)が控える。その秀姑巒山手前の三角峰は八通関山(同66号、3,245メートル)、同写真一番手前の黒々とした塊が東山、玉山東峰(同3号、3,869メートル)、文字通り台湾の屋根である。
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