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「庫哈諾辛」はブヌン語の漢音表記である。というより日本時代のカタカナ表記を漢音表記したのではないかというのが私の予想である。正確な現代北京語読みに近いカタカナ表記は「クハヌォシン」であろう。私が最近購入した「臺灣地形圖新解」(上河文化、2007年3月2日出版、原図:大日本帝國陸地測量部、台灣總督府民政部警察本署)に依ると、当時(大正三年九月製版の五萬分一蕃地地形圖)の表記は「ウハノシン」である。
現代台湾のサイトでこのブヌン語の意味を解説したものがないかどうか探してみたが、意味不詳とのことである。響きは確かに優雅だ。それから女性的な山容と結び付けるのも自然な連想だろう。但し、ブヌン語である。やさしい響きがかならずしもやさしい意味と結び付くとは限らないが、言葉の響きと意味には相関があるのは古今東西共通だと、高校時分英語の教師が英語の[meadow]を引き合いに出し教えてくれたことを今でも覚えている。この英語の発音を聞いて何か物騒なものを想像するのは難しい。実際[meadow](草地)と庫哈諾辛山とは無縁ではない。
庫哈諾辛山は所謂日帰り可能な百岳の一座である。健脚であれば南部横貫公路(通称「南横」、省道20号線)脇の登山口から往復で五、六時間といったところか?それでも今は入園・入山証を取得せずに登り運悪くレンジャーに出食わしてしまうと強制的に降ろされてしまう可能性がある。私はこれを一度食らったことがある。
庫哈諾辛山は一週間を要する中央山脈南一段縦走時、最初に踏まれる一座である。天気さえ良ければ、縦走二座目の関山との分岐地点である小高い草地の露営地からの360度の展望は絶品である。
今回のダイヤグラムは「南横三星」と南台湾の雄峰関山を配した。バックは太平洋で、二つの島が浮かぶ。左より、緑島と蘭嶼である。恥ずかしながら、このダイヤグラムを作りながら、そう意識して太平洋側を眺めたことがないことに気付いた。
關山嶺山(71号、3,176m)、塔關山(72号、3,222m)、庫哈諾辛山(88号、3,115m)の三座はいずれも南横沿いに登山口を持つ日帰り可能な百岳だ。百岳登山の入門コースというわけである。因みに、ダイヤグラム中、黄色で示された線は南横西段、省道20号線の高雄県側で、日本時代の関山越嶺警備道をベースに建設されたもので、ダイヤグラムに示された部分はほぼ当時の警備道に沿っていると看做してよい。但し、「大関山トンネル」までで、今は、関山嶺山と塔関山間の最低鞍部にトンネルが掘られ台東県側に抜けるが、当時はこの最低鞍部を警備道は乗り越していた。詳細は私の「台湾古道」ブログの「関山越嶺古道」の記事を参照にして欲しい。尚、ダイヤグラムでは大関山トンネルから更に左側に道路が延びているがこの部分は南横ではなく、今は廃棄された林道である。
昨年8月、台湾全土に壊滅的な打撃を与えたモーラコット台風(8号)以降、最南の玉山国家公園の管理処が置かれた梅山以北の南横はいまだに通行止めと聞いている。更に一昨日の高雄県甲仙を震源とする大地震の追撃である。皮肉かもしれないが、これらの山にひと時の安穏とした時間が訪れているのかもしれない。(了)
2010年03月06日
2010年03月27日
畢祿山−4
【写真説明:写真はクリックして拡大】合歓山越嶺古道の核心部、同時に台湾古道上の白眉、今は錐麓古道と通称されている段よりタロコ(太魯閣)渓谷越しに望んだ(写真左から)合歓山-畢祿山-無明山へと連なる稜線。細かくは、稜線上の大きな山塊が畢祿山(36号、3,371m)、その手前雲の掛かった部分が羊頭山(97号、3,035m)、右側へ延びる稜線は鈴鳴山(55号、3,272m)、無明山(29号、3,451m)へ繋がる。畢祿山の左に三つのピークが見えるが、左から合歓山東峰(33号、3,421m)、石門山(70号、3237m)、北合歓山(32号、3,422m)。同写真下に写るタッキリ(立霧)渓沿いの自動車道は、省道8号線、通称「中横」、オレンジ色の建造物は国家公園登山学校(旧緑水地質景観展示館)。
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