2024年07月27日

2024年03月30日

雪山主峰−2:凱蘭特崑山(2)

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【写真説明】雪山北峰・カランタツクン山呼称に関する疑問は以下の通りで解決すると思う。ウィキペディア台湾版に依った:

▲(現在)雪山北峰←(日本時代・戦後初期)次高北山←(タイヤル族)バボー・カランタツクン(凱蘭特崑・山)、タラクッシヤ(塔垃庫霞・山)
▲(現在)北稜角←(日本時代・戦後初期)次高山北峰、雪山北峰

ポイントは二つである:

・カランタツクン山は元々はタイヤル族に依る現在の雪山北峰の呼称、現在は、雪山北峰と北稜角の間の連続する小ピークを差すとされている。掲載写真中央上奥の抜きんでたピークが雪山北峰、そこから同写真下側に延びてきている複数の小ピークで構成された稜線がカランタツクンと云う意味。前回の写真説明では、今回掲載写真の雪山北峰下方に写り込んだ特定のピークをカランタツクンと特定したが、厳格な命名にこだわる必要は無いと云うことか?従って、前回のAかBかの二択の問題の正解はまだBのままと云うことになる。前回掲載の左・中央写真とは逆側(南側)から撮影した。

・以上のような山名の混乱の他の好例は、南湖北山(100岳)と南湖大山北峰(非100岳)の関係。

・尚、次高山命名の経緯は以下の通りである:

(終り)

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2024年03月09日

雪山主峰−1:凱蘭特崑山(カランタツクン山)

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【写真説明】左写真は聖稜線南端を終結させる稜線、同写真最奥の最高点は北稜角、その左側のホタテ貝状の地形は雪山主峰を含む第1号圏谷(カール)。中央写真は、同稜線を更に南に辿り北稜角が擁する第2号圏谷に近接した時点で撮影。手前二つのピークが右側から凱蘭特崑山北峰と凱蘭特崑山。右写真は凱蘭特崑山頂上を超え全貌を顕わした北稜角と第2号圏谷。
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2024年02月17日

俯瞰図:雪山主峰

[←俯瞰図はココをクリック]
[←サブ俯瞰図はココをクリック]

今回の俯瞰図は前回雪山北峰俯瞰図の聖稜線を南に延長させたに過ぎない。本来の聖稜線の最南端は雪山主峰である限りに於いてそれで良い。今回当時撮影した写真を何度も行きつ戻りつしながら感じていたのは、聖稜線はその終結に向かい独特の風貌を露わにし出し始めたなと云うことだ。独特の風貌とは鹿野忠雄が特定した無数に近い氷河遺蹟たる圏谷の集合体が描き出した曲線美とでも言えるかもしれない。神はこの曲線を雪山山脈に閉じ込める一方で、太字の荒々しい直線性を玉山山脈に封じ込んだ。。。そんなことを考えてみた。本来の俯瞰図は、鹿野が元々1号として特定した圏谷のみをクローズアップし、聖稜線を終結させた。

鹿野忠雄の功績―昭和7年(1932年)『地理學評論』上に発表した小論文「臺灣高山地域に於ける二三の地形學的觀察」、その後に続く二編の論文「臺灣南湖大山山彙に於ける氷蝕地形に就いて」(昭和9年・1934年)と「臺灣次高山に於ける氷河地形の研究」(昭和10年・1935年)―の一端は雪山山系に於いて32箇所の圏谷を特定している。その辺りの事情は「エピソード九 台湾の桃源郷―南湖大山とシャクナゲ」として拙著『新・台湾紀行』の中で紹介している。グーグル・マップでは第1号圏谷のみの記載だし、筆者の手元の市販地図帳では第2号止まりだ。尤も、この1、2号圏谷が鹿野忠雄特定のそれらと同じものかどうかは判然としない。というのは、これも『新・台湾紀行』の中で説明したが、台湾の戦後アカデミアでは、圏谷の用語を廃し冰斗に置き換えているからだ。いずれにしても、鹿野忠雄特定の1から3号圏谷を現代の地形図上にプロットしてみた。更に、南側からの俯瞰図に加え筆者のカメラと同じ方角からの俯瞰図も併せて並べた。

独特の風貌を定義するもう別の一つは第1号と第2号の圏谷壁を自ら攀じ登ろうとしているかのように感じさせる登山道の幾何学模様だ。これらの模様(もよう)は紋様(もんよう)へと変じる。

以上、既に筆者の言葉が枯渇しているのだが、カテゴリー『雪山主峰』のエピソードはなるべく次高山の風貌に迫りたいと希望するものである。(終り)
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2024年01月27日

雪山北峰−5:夕陽と朝陽

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【写真説明】雪北山屋に草鞋を脱いだ夕刻撮影したのが左・中央写真、右写真はその翌朝の朝陽。恐らく筆者の登山史上最高の陽の出入りの瞬間では無かったろうか。。。各々の撮影方向は言わずもがななのだが、もう少し詳しい説明を加える:

ダイヤグラム上に三点の丸印があるが、真ん中の丸印が雪山北峰、右側(東側)丸印が中央尖山主峰、左側(西側)丸印が鹿場大山(楽山レーダー基地、標高2,618b)、これら三点は東西各々20`の直線距離で偶然一列に並んだ。何故鹿場大山を西側俯瞰のポイントに選んだかと言うと、東側稜線上で筆者が認識出来るピークが無いことであるが、その視界内の恐らく大部分を占める加里山(同2,220b)山脈の最高峰が鹿場大山であること、その頂上の構造物が肉眼で認識出来ること、特に煌々とした夜間照明が強烈で、もう何処の山域からこの照明を初めて目撃したかは忘れたが、真っ黒い天空に浮かぶレーダー基地の照明はその高度故不思議な雰囲気を醸し出していた。但し、これら二枚の写真に写り込んだ山々の中に楽山があるかどうか?はもう撮影時から十年経つので情けないことに筆者には判らない。右写真はお馴染みの中央山脈北一段稜線。(続く)
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2024年01月06日

雪山北峰−4:玉山圓柏

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【写真説明】明けましておめでとうございます。今年も本ブログをご贔屓頂けるようお願い申し上げます。日本に引き上げて来た後も継続して台湾百岳に関する記事を発信し続けているが、今年年内に既登分全座を全てカバー出来るかどうかは判らないが、終りは近い。その後をどのようなコンテンツで継続していくか?は未だに結論が出ていない。静かに思案中。

メルマガ『台湾の声』に対する台湾古道補遺シリーズの一つとして投稿した「氷河時代の「生き残り」―ニイタカトドマツ」の中で、今回の投稿のハイライトである玉山圓柏については「ニイタカビャクシン:台湾名『玉山(ぎょくさん)圓柏(えんぱく)』、別名『香(こう)青(せい)』、マツ科ヒノキ属」と云うサブタイトルで詳述した積りではいたのだが、台湾内の著名な分布区域としてここ雪北山屋が完全に抜けていた。元々筆者の予備知識としてのリスト上になかったと云う単純な理由だ。古道ブログの方に筆者の新刊書紹介の目的で玉山圓柏の説明をそのまま抜粋してあるのでご参照願いたい。

当時大量に撮影した写真を以下の三グループに取捨選択してみた。即ち、第1グループ(上段):百岳(中央北一段南湖大山連峰、品田山等、雪山北峰)をバックにした群生、第2グループ(中段):雪北山屋周辺の群生、中央写真奥はムトロツプ山(左)とスミダ山(右)、第3グループ(下段):「競演」。(続く)

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2023年12月16日

雪山北峰−3:三角点

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【写真説明】陸測三等、富士山と肩を並べ得る標高だが、当日そんな感傷に耽ることもなく記念撮影を済ますと雪北山屋へと駆け降りる。三日目も快晴、これまで掲載した写真で見る通り、聖稜線上からの景観に非の打ち所がないので、却って食傷気味か?本稿雪山北峰に敬意を表し三枚の写真掲載に留める。即ち、聖稜線南端次高山(雪山主峰、中央写真最後方最高点)へ連なる聖稜線南段、同写真左端鞍部に雪北山屋は位置する。右写真は前回掲載分上段中央写真に写る部分を雪山北峰迄引き寄せた聖稜線、ウンダカ山から雪山北峰までの稜線が天空に骨太い線を描いている様は圧巻。(続く)
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2023年11月25日

雪山北峰−2:雲達卡山

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【写真説明】「地獄のトラバース」から脱出した後は三日目の目的地である雪山北峰まで特に強烈な印象を受けた箇所も無く、最期は雪山北峰を後にして雪北山屋に投宿した。雪北山屋から西側方面の夕陽に依る大舞台は圧巻、当時は恐らく筆者の人生に於いて最早これ以上の夕陽に遭いまみえることはあるまいと思っていたのではないか?そんな気持ちを滲みさせようと悪戦苦闘した写真は次回の投稿に掲載予定だが、今回の投稿に掲載する写真を選ぶ最中気付いた―即ち実際現地を歩いている時は特別な意識と注意は払われなかったと云う意味―のは、筆者は単なる通過点としてしか見ていなかった三千メートル峰だが無名峰のウンダカ(雲達卡)山が実は聖稜線上ではそれなりの存在感があることである。三日目のスミダ山屋から雪北山屋間の行程に於ける前半のハイライトが地獄のトラバースであり、後半のハイライトがウンダカ山山頂から南北に延びる稜線と言えるかもしれない。

上段左写真はウンダカ山山頂と思しき地点に置かれたマーキング。中央写真は同山頂から北側の眺望。写真中央部を占めるのはムトロツプ山山塊、写真左端奥のドーム状の山塊は大覇尖山、ムトロツプ山の東隣は品田山、写真右端奥には桃山が写り込んでいる。右写真はウンダカ山山頂付近から南側の眺望、即ち雪山北峰の北側の断崖部、実際双方の断崖部は相対峙しているのを今回の投稿に際し初めて理解した次第。下段左写真はウンダカ山頂上を含むウンダカ山大断崖、雪山北峰方面からの眺望。中央写真は、聖稜線と雪山北峰の分岐。右写真はその分岐から雪山北峰山頂迄最後の一段、僅かに五分程度の歩行である。総じて、三日目の行程、スミダ山屋―雪北山屋間の標準歩行時間は4時間とされているが、我々の場合、休息・食事も含め約7時間を費やした。(続く)

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2023年11月04日

雪山北峰−1:素密達山屋〜穆南営地

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【写真説明】三日目のスタートは、ムトロツプ(穆特勒布)山頂上を迂回し、同山と雲達卡山の鞍部となる通称穆南営地(露営サイト)へのトラバースである。既に先行する投稿記事で記したように、「地獄のトラバース」なのだが、只闇雲に稜線との出会いを目指し奮闘したイメージしか残っていない。筆者の脳裏に焼き付いていた地獄とは即ち登りの難儀さだったのだが、そんなイメージで当時撮影した写真を眺めていても繋がりが悪い。それで他のハイカーの記録を覗きながら漸く当時の登攀の概略が朧気に想像出来るようになった。今回は二枚の俯瞰図を掲載したが、二枚とも地獄のトラバースを説明するには不都合だ。そこで三枚目の俯瞰図をここに埋め込んだ。赤線の部分は現時点では空く迄筆者自身の推定でありこのように上下大いにスウィングするのは大袈裟かもしれない。実は台湾人ハイカーの言う「地獄」とは登りではなく下りであることが判って来た。すると自身で撮影したトラバース時の写真の並びが格段に良くなった。最上段写真は、O線行三日目、最終目標雪山北峰の朝。二段目左写真は、山屋から樹林帯の中の最初の登りの最高点付近、ここから急下降、ここが地獄の始まりだ。中央写真はその地獄を俯瞰したもの。右写真はその地獄の底近くから地獄の下りを仰ぎ見る。最下段左写真は地獄の底となるガレ場、ここから再び登り返し、稜線上のランドマークである穆南営地(露営地)を目指す。中央写真は、その露営地脇に立つ玉山圓柏。右写真は稜線到達後撮影したムトロツプ山山塊、同写真右奥に写るのは品田山。(続く)

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2023年10月14日

新刊書発行のご案内:『新・台湾紀行−硬派のためのエピソード集』

Kodou-2929.jpg既に「台湾古道」ブログの読者に対しては、この新刊の件はアナウンス済みだ。というのは、今回の新刊書の中に盛り込んだ記事は、元々台湾古道シリーズとしてメルマガ『台湾の声』を通じ配信したものがベースである。発刊の運びとなった書籍の内容、構成、発刊の経緯等の詳細は、アマゾンの商品紹介の中の情報とフリーサンプルでフルでカバーされている前書きを参照にしていただければ嬉しい限りだ。

一つだけ以下のコメントを付け加えておきたい。今回本書に所収されている原稿は、令和2年〜4年の丸三年間に渡りメルマガ『台湾の声』に投稿・配信されたものだ。その前身は、同じく『台湾の声』への8年間に渡る台湾古道に関する投稿だ。この過去の古道シリーズ投稿の補遺版作成の構想を兼ね兼ね持っており、それをここ三年で実行したわけだ。この補遺版でカバーされている内容は古道に限定されておらず、多くを台湾山岳にも割いているので、ここで紹介している次第だ。

従って、今回の発刊に際し新たに文章を起こす所謂生みの苦しみに悩まされることはなかった(但し、何度も読み直さなければならないことには閉口したが)代わりに、電子書籍自体の制作は手強かった。初めての電子書籍への挑戦と云うこともあり、出来るだけ単純な書籍構成と相成った。表紙デザインの失敗だけは回避したく、プロにお願いした。幸運なことにここで見るようにこのプロ氏には非常に良い仕事をしていただいたと思う。古道シリーズよりも百岳シリーズに相応しい自身で撮影した写真を選んだ。実際、本書所収の以下13編の内、太字のタイトルが百岳、山岳関連となると思われるので、是非本書を手に取ってみることを切にお薦めするものだ。本ブログの読者がもし『台湾の声』の会員であれば、既にこれらの配信は受けていることになる:

エピソード一 台湾百年古蹟−測量基点
エピソード二 阿罩霧圳と霧峰林家
エピソード三 南蕃騷擾殉職警官碑
エピソード四 「水」地名考
エピソード五 台湾の国鳥
エピソード六 「鹽の道」−裕仁皇太子台湾行啓
エピソード七 裕仁皇太子台湾行啓−高雄巡啓と壽山古道
エピソード八 壽山−水の物語
エピソード九 台湾の桃源郷−南湖大山とシャクナゲ
エピソード十 氷河時代の「生き残り」−ニイタカトドマツ
エピソード十一 蘭嶼(再録、補遺の二部編成)
エピソード十二 台湾地名考−国民政府による「日本風」地名命名
エピソード十三 六亀特別警備道(再録、北段、南段の三部編成)

(終り)
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2023年09月23日

俯瞰図:雪山北峰

[←俯瞰図はココをクリック]
[←追加参考俯瞰図はココをクリック]

佐々木舜一「大覇尖山及次高山連峰縦走記」に従えば、雪山主峰と雪山北峰は各々次高山主山と次高山北峰である。このブログ内で筆者は以前「次高山北山」という呼称を用いたが、佐々木の記事中であったのか、それとも筆者の思い込みであったのか、定かならず。余りにもニイタカ連峰の呼称を意識し過ぎたかもしれない。

既に百岳の3,700b峰、雪山北峰の巨大なドーム状の威容には十二分に両眼を慣らされて来た上に、三日目の聖稜線O線登攀も豪快な快晴に恵まれたこともあり、今回の俯瞰図は前回の投稿記事の中で大いに述べた幻のムトロツプ山( 穆特勒布山)に焦点が当たるよう切り取って来た積りだ。追加参考図を付与したのは、品田山から雪山北峰までの稜線も起伏が激しく俯瞰する高度を高くしてしまうと、その起伏がぼやけてしまうからだ。

ムトロツプ山は先ずはスミダ山(素密達山)との混同として筆者の目の前に立ち現れたが、四日目早朝からは現実の大きな壁として我々の行く手を遮る。後で知ったことだが、多くのハイカーがスミダ山屋に荷を置き空身でムトロツプ山山頂を往復するようだ。それが終わると、品田山(下り)、雪山北峰(上り)のいづれかのルートを辿る。我々はこの空身の部分は止めにして、詰まりムトロツプ山山頂登攀をスキップして山腹をトラバース、一営地(ムトロツプ山と雲達卡山、ウンダカ山と呼ぼう、の鞍部)で聖稜線、即ち苗栗県泰安郷と台中市和平区との境界線に合流するコースを取った。当日我々のガイドからはそのような説明を受けなかったが、受けたとしてもそれに賛成、反対の意を唱えられるだけの知識も経験も無かったのだが。

一般的にトラバースは直登に替わる迂回コースのことだが、スミダ山屋から聖稜線に出会うまでのトラバースは我々には全く直登の連続だった。我々だけが苦闘したのだろうか?試しに台湾の関連サイトを覗いてみると、GPS記録上に地獄開始とか死路とかの文字がある。。。この取っ掛かりのトラバースが三日目のハイライトと云ったところか。同日、もう一つのハイライトは終点、雪北山屋付近の玉山圓柏の群生とそこからの豪華な夕陽、朝陽の眺望か。(終り)

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2023年09月02日

品田山−6(布秀蘭山・素密達山・穆特勒布山・雲達卡山・凱蘭特崑山)(2)

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【写真説明】申し訳ないが、再た逆戻りである。今回掲載した六枚は、スミダ山登攀の光景である。時系列としては、これら六枚は前回記事下段三枚へと続く。前回記事に掲載した上段左写真の大凡中間に三段の岩峰が突き出ているが、右端が穆特勒布山(今後はムトロツプ山と呼ぶことにしよう)、左端が素密達山(今後はスミダ山と呼ぶことにしよう)で、実際登攀したのはスミダ山だけだった。上段左写真に写る斜めに突き出た岩峰がそれだ。この角度から見る限りそれ程巨大な塊に見えないが、実サイズはかなりのものだ。中央写真の最後方にムトロツプ山頂上が僅かに覗いている。

品田山を過ぎ尚眼前を遮ぎ続けた尖峰は素密達山と穆特勒布山だったのだが、筆者はこの二つの尖峰を明確に認識出来ていたかどうか?大いに疑問だ。というのは、行く手に雲が掛かり始め、これら二つの峰の内、ムトロツプ山はやがて視界から消えたからだ。何を言いたいかと言えば、筆者は当日登攀することになっていたスミダ山をそう認識出来ていたかどうか?当日本当に登るべき山はそれがスミダ山であろうが、ムトロツプ山であろうが、我々は余りにも無謀なことをしようとしているのではないか?と自問自答を繰り返さざるを得ないぐらい、一般ルートから乖離した登山道と思われた。二つの尖峰は近接しているとは云いながら、標高差は150b、ムトロツプ山が遥かに高い。今思うに、筆者が恐懼していたのは、未だ雲が二つながらに尖峰を覆い隠す以前に見えていたムトロツプ山を当日の最終目標と見余っていたのではないか?筆者の視界がスミダ山に占領された後は、どうもその山がムトロツプ山に摺り替わったようだ。いずれにしても、行く手の登山道に恐懼するというのは筆者にとり極めて稀なケースだった。下段の写真は無機質な三角点標石代替ステンレス鋼、ムトロツプ山のそれが筆者の撮影データの中に無いので、結局筆者のムトロツプ山は雲中の出来事であったと言わざるを得ない。(続く)


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2023年08月12日

品田山−5(布秀蘭山・素密達山・穆特勒布山・雲達卡山・凱蘭特崑山)

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【写真説明】池有山東側鞍部新達小屋を出発し、品田山を越え西進を継続、先ず大覇尖山より南下して来る稜線と出会う。その後、布秀蘭山、素密達山、最期に素密達断崖を降下し素密達山屋に至り二泊目。上段左写真は品田山と布秀蘭山の鞍部にある露営地より聖稜線西進方向を望む:布秀蘭山、素密達山、穆特勒布山の順。中央写真に写る指導標は、右側大覇尖山稜線方面との出会い。右写真は、布秀蘭山山頂より振り返った品田山東壁。品田山より離れるに連れ逆に断層面の豪快さが増すような印象を受ける。品田山断崖をカメラで追い掛けるだけでも大作品が出現するだろう。先に二日目の終点、素密達断崖降下の様子とその後の素密達山屋への行進を掲載した。三日目のマイルストーンは百岳の雪山北峰、下山後は雪北山屋で三泊目。
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2023年07月22日

品田山−4(頂上)

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【写真説明】品田山山頂の三角点標石の写真を掲載することをすっかり失念、筆者のブログは先に山頂を後にしてしまった。三角点標石の写真をこのブログに掲載するのは登攀の証拠写真を提示したいからではなく、あくまで先達に敬意を表する為である。ところが、当時山頂で撮影した写真に一枚も三角点標石が無いことに、登頂後十年になろうとしている今頃になって気付いた。結局当時は、或いは当日、山頂に立った時標石の有無の確認は有耶無耶になっていたということだ。或いは、その場の俯瞰に圧倒されっぱなしだったからだろうか?現実は、森林三角点(台湾総督府殖産局)が埋定されていたが消失中。。。誰かの家の軒先に置かれているかもしれない。台湾でもこの手の所業は違法のはずだが、台湾サイト中で相当な三角点標石コレクターの実態を確認出来る。左写真は品田山山頂山塊直下、既に頂上までの距離は100bを切っているはずだ。中央写真は、山頂標識、背後の稜線は大覇尖山連峰。右写真は、山頂より聖稜線西側のお馴染みの眺望。右から、穆特勒布山、雪山北峰、雪山主峰(次高山)等々。(続く)
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2023年07月01日

品田山−3(断崖)

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【写真説明】品田山前峰断崖と同じく、品田断崖に関する予備知識も仕入れずひたすらに西進する。品田断崖が四段で構成されていることはこのブログ記事を書き続ける途中で知った。そこで新めて自身で撮影した断崖の写真を眺めてみるとどうも大いに歯抜けになっているようで、降下した四つの断崖にクリアな線を引けない。第1段(1枚目と2枚目)と第2段(3枚目と4枚目)は明確だ。特に第2段は過去滑落事故が頻発している断崖だ。5枚目と6枚目断崖は第3段目か第4段目か判らず、3段目ではなかろうか?7枚目は四段断崖を降り切り西進方向に聳える穆徳勒布山(3,604b)俯瞰、8枚目は今度は背中側になる降り切ったばかりの品田山北稜。(続く)
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2023年06月10日

品田山−2(品田山前峰V断崖)

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【写真説明】俯瞰図で強調した品田断崖を下降する前に、もう一つ越えなければならない断崖があった。品田山前峰と品田山との間の断崖であり、今はV断崖とかV型断崖とか通称されている。筆者の山行時はハイカーの間で現在のように大袈裟に取り沙汰される難所と看做されていたかどうか?いずれにしても予想外の障害物だったはずだ。前峰西壁を下降し登り返して品田山山頂に到るわけだが、今現在筆者の記憶にあるのは、その断崖底に至った後の品田山山頂への登攀の印象のみ。上段左写真は品田山前峰下降開始時点、中央写真は前峰壁、右写真は品田山壁登攀。。。とこの程度の写真しか残っていない。今時の若いハイカーなら動画を駆使する。下段左写真は、前峰方面から前峰断崖越しに望む品田山東壁。中央写真は、品田断崖下降中途で望む、喀拉業山、桃山、池有山の稜線と品田山前峰断崖壁。同写真最後方稜線左端最高点が喀拉業山、同稜線右端最高点が桃山(桃山山屋が白く写り込んでいる)、その下方向稜線上の岩峰が池有山、右写真は、品田山東壁登攀途中の前峰断崖越しに俯瞰する聖稜線O線ルートの最終点、雪山主峰(次高山)が同写真右上に見える。又、写真中央上付近に写る白い建物は三六九山荘。
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2023年05月20日

品田山−1

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【写真説明】山名の由来をコメントした後は、特異な山容を呈している原因となった「褶曲」地形に関しコメントしておく。その説明の資料としてここに三枚の写真を選択、掲載した。残念ながら地形の解説のビジュアルガイドとしては適当とは思えないが、そもそも当時その特異な地形に関する知識は希薄、従って適当な写真を撮影しておらず、後追いで過去の写真から探しだそうとしているからだ。左写真は初めて雪山主峰(次高山)に登頂した2002年10月に、三六九山荘付近で撮影、主役は台湾のナナカマド、メルマガ『台湾の声』に2021年3月に寄稿した【台湾紀行】シリーズ《氷河時代の「生き残り」−タイワントドマツ》の二箇所で以下の紹介を提供した:

「甘木林山の東斜面最下段に三六九山荘は設営されており、山荘の名前は甘木林山の旧標高が3,690bだった為。」

「三六九山荘後方には、火災に依り立ち枯れとなった真っ白な台湾冷杉が起立しており、雪山白木林と通称される。その下方のナナカマド(七竈:台湾では「巒大花楸」)の群生が秋になり真っ赤に紅葉すると、その紅白のコントラストは一幅の絵だ。紅葉したナナカマドは日本の高山地帯ではお馴染(なじ)みの秋の風物詩なのだが、同じ風景に台湾で往き当たった時には驚いたものだ。」

左写真に写る品田山褶曲はおとなしく思える。中央写真は2004年1月、雪山方面の典型的な降雪、積雪に恵まれ雪山東峰から聖稜線北稜線を撮影、積雪のお陰で褶曲構造が良く看て取れる。これら二枚は品田山の遠望で、武稜農場から東峰経由で雪山主峰を目指せば誰でもが指差せる。右写真は2013年10月、北一段方面、審馬陣山付近から雪山山脈を望んだ。最早褶曲構造など判らないぐらいの聖稜線南陵線、大覇尖山から派生する稜線と品田山を含む武稜四秀稜線が重なっているのだが、その稜線の左側にオベリスク風に佇む奇怪な品田山山塊が見える。

ウィキペディア日文版「褶曲」の冒頭の説明は以下の様に極簡単に説明されている:

「褶曲(英: fold)は、地層の側方から大きな力が掛かった際に、地層が曲がりくねるように変形する現象のこと。

(中略)地層の谷にあたる部分を向斜(英: syncline)、山にあたる部分を背斜(英: anticline)という。ただし、これらの用語は地層の上下が特定できているときのみ使われるため、上下の特定が困難な場合は向斜状構造をシンフォーム(英: synform)、背斜状構造をアンチフォーム(英: antiform)とよばれる。」

台湾では、品田山頂上山塊の褶曲は背斜と説明されている。後の投稿の中でもう少し品田山の褶曲を紹介出来ると思う。(続く)

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2023年04月29日

俯瞰図:品田山

[←俯瞰図はココをクリック]

品田山の書き起こしも池有山と同じく山名考から始める。明らかに「しなだ」と読むべきだろうと思うが、台湾側のエピソードだと「しなだ」と云う姓の日本人に由来するのではなさそうだ。池有山と同じ資料に依れば以下の通りだ(筆者拙訳)。訳文中の()部分は筆者自身の註であるが、タイヤル語のカタカナ表記は参考程度に読んで欲しい:

品田山は典型的な日本(語)式山名だ。日本語の発音は「シナダ」、当時この名前を選定した日本人は本州東北地方の出身者に違いない。と云うのは元々東北地方の人々は常々湿地帯を「田」又は「岱」(タイ)と称しており、岱は更に山中の湿地も指し、日本の古語では「田井」と云う用例がある。「品」は日本語の中では非常に多くの意味があるが、東北地方の場合、特に「田」を以て山名に多用されているのは、山中に多くの沼沢や水池があるからだ。実際の用例としては、八甲田山、八幡平、十和田等がその一例だ。以上の用例に依り、品田山の日本語中に於ける意味は、恐らく多くの湿地、水池(池塘)を持つ山と云うことになるだろう。実際、品田山から喀拉業山の稜線伝いには多くの水池が存在しており、タイヤル族は特にこの山域を「siron」(シロン)と呼んで来たが、正にタイヤル語で水池の意味である。就中、品田−池有の間は特に水池が集中しており、日本人は元々「tamalabu」(タマラブ)<日本人の台湾領有初期は「タマラフ:日本漢音表記は玉羅府」>と呼称されていた山域を池有山に改編、元々「pochinsiron」(ポチンシロン)<タイヤル語で最後の水池の意>と呼称されていた山域を、純粋に高山水池の地理的特性に依り品田山と改編した。従って、品田山の名の由来は、広く流布しているように頂上山塊を形成するユニークな岩石の褶曲構造が「品田」の漢字に見えるからではなく、台湾の山岳コミュニティによって広められたデマの結果である。

残念ながらこの台湾サイト上の山名考には出典が明記されていないので、上記の説にどれ程の専門性と信憑性があるかは筆者では判断が付かない。何れにしても、湿地と云う地理的特性を切り口にしている部分は、山肌に浮かび上がる品田様の漢字の字面説よりは説得力がありそうに思える。

聖稜線O線に於いて、品田山から雪山北峰間の稜線は連続する断崖故にハイカーにとっては縦走の白眉となる。日本での登山経験が専ら中央・南アルプスに集中し、北アルプスはほんの齧った程度の経験しか無かった筆者にとり、聖稜線断崖が一般ルートとは俄かには信じ難かった。その洗礼を最初に浴びたのが、品田山頂上から更に西側に縦走を進めるべく大きくダウンする品田断崖だった。実際、聖稜線O線上の上記区間の著名な断崖は素密達を加え二箇所のみなのだが、同日に二箇所とも越えなければ(実際は降る)ならないのも手強い部分である。

今回の俯瞰図は、従って先ず品田断崖が口を空けてハイカーを待ち構えている北側からの絵とした。台湾第二の高峰、雪山主峰への入門ルートである、武稜農場から雪山東峰経由の縦走路から仰ぎ見るのは南側稜線で、今回の俯瞰図の稜線とは真逆であることもわざわざ北側稜線の俯瞰図を採用した理由の一つだ。南側稜線に堂々たる異様(威容)を呈している品田山は誰でも直ぐに認識出来るのは前述の山名由来の記の中に出て来る褶曲構造故である。追って今後の投稿の中で紹介する予定だ。

今は亡き妻がもう一度歩いてみたかったのは聖稜線O線であることを私は知っている。最早夢となってしまったが、私一人ですら夢物語である。(終り)

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2023年04月08日

池有山−3

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【写真説明】池有山と品田山の鞍部間に三つの主要池塘があり、東側から順番に新達池、亜美池、品田池と呼ばれている。前々回投稿に添付した左写真に写る池塘が亜美池だ。池塘名の漢語はタイヤル語の漢音訳の筈だから意味は無い。従って、新達山屋の「新達」の由来をこれ以上説明するのは難しいことをご了承願いたい。右写真は同山屋を東側から望む。桃山山屋と同一の構造だ。同写真奥の斜面は品田山に繋がる東斜面。右写真は、その東斜面登攀途中で越しかたを振り返って撮影、手前の池有山とその後方最高点が桃山である。(終り)
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2023年03月18日

池有山−2

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【写真説明】左写真は池有山頂上での、今どきの台湾人大学生(モデルは国立台湾海洋大学)登山パーティーの記念撮影。約十年前の当時ですら、台湾国内で冬山登山の装備は難なく調達出来るのが見て取れる。陸測三等三角点は既に断裂。中央写真は、池有山頂から東側稜線越しに望む桃山。桃山山屋が肉眼でも認識出来る。他方、右写真は池有山頂上から、武稜四秀西側稜線上の品田山へ目を転じ撮影。こちらも池有山と品田山の鞍部にある新達山屋が写り込んでいる。池有山頂上でその翌日の登攀対象である山岳、並びに山頂に到る地勢を十分研究出来るだけの機会を貰いながら、最終的に品田山登山を諦めた理由をもう思い出せない。同写真左側奥に写るピークは雪山北峰(百岳10号)、標高3,700bを超えている。(続く)
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2023年02月25日

池有山−1

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【写真説明】左写真は、山名の由来となった、池有山と品田山の鞍部に点在する池塘の一つ、武稜四秀行の定番山小屋、新達山屋の近くで撮影(2014年10月)した。同写真奥に写る山塊は池有山。中央写真(2014年10月撮影)と右写真(2012年1月撮影)は、池有山頂上直下の特徴的な地形、同一地点である。池有山頂上へのルートと武稜四秀縦走路の分岐点付近に露出している。池有山頂上からそのまま稜線伝いに品田山方面へは降りられず、通常この分岐点付近に荷物を置いての往復となる。現場にはこの特異地形に関する中文+英文説明板がある。中文では通称「碎石坡」、正式名称「石流坡」、英文だと各々「gravel slope」、「rock slope」であることはその説明板から読み取れるのだが、これらを手掛かりに日本サイトを渉猟しても、日本語学術用語がいまだに捉まらず。本特異地形は氷河運動の所作ではなく、夜間と昼間の大きな気温差に依り創生されたものと云うのが説明板の主要なメッセージである。(続く)
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2023年02月04日

俯瞰図:池有山

[←俯瞰図はココをクリック]

弊古道ブログでは既に説明したのだが、前回記事をリリースした約一週間後、筆者の妻は肝不全の為急逝した。その辺りの簡単な経緯については古道ブログの方に投稿した。そのような背景も有り本年度から百岳ブログの更新頻度を三週間に延伸することにした。

池有山には二回登頂した。2011年2月の桃山/喀拉業山登頂に続き、2012年1月、第二回武稜四秀山行を企図、池有山/品田山を目指した。結果的には、積雪の為池有山のみ登頂、品田山登攀はその後大凡三年弱、お預けとなった。2014年10月、聖稜線O線コースをその池有山からスタート、品田山に実際登攀してみて、前回品田山登攀を断念したのは正解であったとつくづく実感したものだ。

台湾人にとって、池有山と云う山名が日本人に依り命名されたことは感覚的に直ぐ判るらしい。意味は文字通り池(塘)の有る山なのだが、中国語文法では有池の順番が自然だからだそうだ。台湾ネット上で公開されている然るサイト(『百岳名山的由來』)に以下のような説明があった(筆者拙訳):「タイヤル語で池のある山(有池山)の意のタマラップ山(Tamarappu)と呼ばれている。西側(品田山方面)に延びる稜線上の草原中に少なからぬ池塘が散在しているからである。池有山と云う表記は日本語文法に依る。」草原の実際の広がりは俯瞰図を参照にして欲しい。

実は台湾古道ブログの方で、特に最初の池有山登攀についてはカテゴリー『南澳(比亜毫)古道』として記事を起こしているので、池有山俯瞰図の解説はそのブログ記事に肩代わりさせようと思う。読者の便宜の為に、宜蘭県大同郷四季村(シキクン社)、古道ブログ・カテゴリー名のビヤハウ社、太平洋岸の南澳の位置関係が判る台湾総督府警務局の大正13年発行『三十萬分一臺灣全圖』の抜粋を貼り付けておいたので、参考にしていただければ有難い。四季部落から加羅湖迄の古道部は以前よりハイカーに良く歩かれているので、地図上の「カラサン」もハイライトしておいた。(終り)

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2023年01月14日

喀拉業山−2

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【写真説明】左・中央写真は喀拉業山山頂陸測二等三角点。右写真は桃山、喀拉業山間にある詩崙山頂上マーキング。ウィキペディア台湾版等に依ると、台湾山岳四天王の一人邢天正に依り提唱された「四秀」とは、喀拉業山、詩崙山、桃山、池有山であり、品田山はこれら四座とは全く異なる山勢を呈していた為、「十峻」に数えられた。しかし、その後の台湾山岳界の登山活動を通じ、品田山は四秀の一つとして見做されるようになり、百岳に入っていなかった詩崙山は四秀から除外された。(終り)
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2022年12月31日

喀拉業山−1

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【写真説明】今年も暮れようとしている。少なくとも暫くは台湾百岳の登攀記録を延ばしていくのは難しいので、先ずは既に登攀した50座の記録を取り纏め終えることだ。喀拉業山に関しては、俯瞰図の記事の中で書き尽くしてしまったが、後二回程補完的なコメントを提供する予定だ。左写真は桃山直下より喀拉業山への登山道が付いた北側稜線を俯瞰した。喀拉業山山頂はその稜線中間辺り箭竹群が目印だ。中央写真は稜線中間点(1.75`)を過ぎた辺りで、前回記事で紹介した林務局案内板に謂う典型的な登山道の植生。右写真は、喀拉業山山頂より越し方桃山方面を望む。丁度左写真と対となる。(続く)
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2022年12月17日

俯瞰図:喀拉業山

[←俯瞰図はココをクリック]

北京語読みでは「カライエ」、日本時代は「カラヘエ」と表記されていた(例:陸地測量部大正13年版5万分の一)。その事実を現在の台湾人は、日本人は「加留平山」と呼称していたと云う紹介文に仕立てることになるのだが、実際は前述のようカタカナ表記していた。そのカタカナ表記に戦後漢音を合せたわけだ。「平」を以て喀拉業山山頂のまるで百岳のピークらしからぬだだっ広い空間を示唆させたものとも考えたが、「ヘエ」の当て字に最も便利な漢字だったからだと筆者は考える。詰まり実際の頂上の地形と当て字との間に直接的な関係が意識されているわけではないと言うことだ。筆者の手元の地図帳には「坪」の漢字が充ててあるが、これなら良い。当時山頂に設営されていた林務局に依る案内板の説明、「喀拉業山と周辺の環境紹介」(中文・英文のみ)は、短いが良く書かれていたので拙訳する。後半部の訳出はかなり覚束ないのは勘弁して欲しい:

「眼前の風景を覆い尽くしている冷杉(モミ属)と鐡杉(ツガ属)針葉樹林帯の頭部が喀拉業山であり、その山名はタイヤル語の「karaheye」の漢音訳である。別称「加留平山」、武稜四秀中の最年少者である。桃山から喀拉業山に掛けての沿線はびっしりと玉山箭竹に覆われ日に尚暗く、登山者が通常目にする開かれた景観とは異なる。この為行く手は比較的困難を極め、丈の高い箭竹が密生し非常に長く感じられる。多くの登山者にとってまるで低電圧から高電圧に晒されるようなもので登頂の苦しみを味わう。」

片道3.5`の往復に林務局が形容するような苦痛を味わったかどうか?記憶に乏しい。但し、残雪が登山道の各所に有り少なからず慎重になったであろう。いずれにしても、再び桃山登山を試みる機会があるかどうか?

当時撮影した写真を見ていたら桃山−喀拉業山の稜線内に詩崙山(標高3,149b)と云う無基点峰があることに気付いた。その存在など筆者の記憶からは完全に一掃されていた。字面は優雅だがその由来未だに判らず。(終り)

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2022年12月03日

桃山−7

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【写真説明】蛇足とは思うが、「桃山山屋物語」として三枚付け加えておいた。二枚目写真の右側を覆う影は桃山頂上か?自信なし。(終り)
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2022年11月19日

桃山−6

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【写真説明】筆者自身にとり桃山登頂がユニークだったのはもう一つ理由がある。桃山頂上を5回踏んだことである。第一日目、先ず最初の登頂を果たした後、桃山山屋へ降りて夕陽の中の絶景を期待して2回目の登頂、二日目のメニューは山屋と喀拉業山との往復のみ、往路・復路両方とも桃山頂上も往復、そして三日目の下山日、第1日と同じコースを辿り武稜へ降りた。今回の記事を投稿摺るに当たり当時撮影した写真を確認している途中で頂上直下に桃山山屋に二泊したのに気付いた。詰まり心理的にも余裕があったのだ。撮影の出来栄えに反映されていると思う。右写真(14:47撮影)は桃山頂上、陸測三等三角点標石と並ぶのも測量基準点に見えるのだが、台湾サイト内にその正体に関する情報を見付けられずにいる。バックは南湖大山連峰。中央写真(17:22撮影)は桃山山屋方面から頂上を仰ぐ。右に覘くのも南湖大山連峰。右写真(06:58撮影)は喀拉業山へ向かう為に桃山を乗越したところ。三日間超快晴に恵まれた。(続く)
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2022年11月05日

桃山−5

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【写真説明】桃山の頂上に近付くに連れ武稜四秀全体の稜線にも近付く。するとその稜線越しに聖稜線の北側起点大覇尖山の稀代な荘厳さが辺りを圧する岩塊が現れる。桃山に登頂する以前2002年10月と2004年1月の二回雪山主峰方面へは登攀経験はあるのだが、雪山主峰から大覇尖山への距離は眺望と云う観点からは絶望的に遠い。この桃山登山時に浴した大覇尖山の眺望こそは筆者にとり初めの大覇尖山との出会いだった。左写真は、雪山主峰より聖稜線全体を取り込み撮影(2002年10月)、複数の稜線上から一座抜きんでたピークが大覇尖山。中央写真は初回の武稜四秀トライアル時(2011年2月)、桃山頂上まで半時間程度の位置から撮影した大・小覇尖山、手前の稜線は武稜四秀四座を結ぶ稜線。右写真は、二回目の雪山主峰トライアル時(2004年1月)撮影、桃山登攀以前撮影対象が桃山であると認識していた唯一の写真。(続く)
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2022年10月22日

桃山−4

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【写真説明】防火道路終点を超え黒水塘と通称される池塘を過ぎると、頭から降り注ぐ風景は岩峰に替わる。桃山はその名に似ず本来岩峰である。刻々と変化していく岩峰のイメージを時系列順に並べた。下段左写真が桃山頂上直下である。(続く)
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2022年10月08日

桃山−3

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【写真説明】左側、詰まり西側に雪山主峰(次高山)の稜線(右写真)を間近に見ながら、背中には南湖大山群峰(左写真)と中央尖山の峩々足る稜線(中央写真)を背負いながらの登山は、これ以降定番になっていくのだが、桃山登山の際はこれらの眺望に対し真摯に向き合っていたことが、当時撮影した写真を見ると良く分る。Powershot G11で撮影したことになっているが、当時本当にこのデジカメを所有していたかどうか?印象に乏しい。過去大凡二十年強キャノンのデジカメを使って来たが、万年素人の筆者の意見では、カメラ・テクノロジーの進展とは逆に写りと色合いが衰えていくという思い込みから逃れられない。(続く)
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