2013年11月30日

郡大山−1

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【写真説明】左写真は郡大林道途中で見掛けた廃棄された工寮(林務局所有の簡易作業場兼宿泊施設)、但し、位置は覚えて‘いない。同林道最奥の現役林務局工作站である望郷工作站に至る手前だと思う。中央写真は、望郷工作站前の広場と見紛う寛い林道脇の神木と祠。祠は下掲写真で判る通り神社形式、つまり日本時代からの物と考えて間違い無いと思う。すると、当該工作站の前身は駐在所だった可能性も又大きいのだが、当時の地形図を見ても特定出来きないが、当時のハウハブ社の東側に相当することは判る。右写真は望郷工作站。
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2013年12月21日

郡大山−2

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【写真説明】左写真は郡大林道脇、郡大山登山口付近にある元々は林務局の工寮、実際は郡大山への登山の便に供されている。最近の山行記録をネット上で漁っていたら、「郡大別館」と冠された地図があった。思わず大笑いした。粋な人がいるなあという笑いである。右写真は望郷山頂上、標石が露出した台湾総督府殖産局埋設の森林三角点。日本時代、この標石が埋設された時、既にこの山の名前は望郷山だった。同写真内に意味不明の点、二つ、ブトかな?
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2014年01月11日

郡大山−3

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【写真説明】明けましておめでとうございます。本年も弊ブログをご贔屓いただけるようお願い申し上げます。書き始めから足掛け九年目、年に多くても数座台湾百岳に登る機会があるのみ、それでも最近は以前に比べればペースが僅かばかり上がって来ています。

左写真は郡大山頂上から稜線北側を望んだもの。同写真左側に写る稜線最下段の稜線は望郷山、その後、3051峰、3167峰、3256峰、郡大山北峰と続く。陽を背中に浴びたピークが北峰。右写真は、郡大山頂上からの復路、望郷山方面から北峰を含む南側稜線を望む。最奥が郡大山山頂を含む稜線。更に奥の二つの尖峰を含む稜線は、右から八通関山西峰、八通関大山、秀姑巒山。

「時は元旦、その夜の望郷山から郡大山山頂までの文字通り三千メートル級の稜線上での寒くて冷たい半ば惨めな体験」を演出したのは、稜線に吹き荒れる冬の風だけでは無い。望郷山を離れ、真っ暗闇の中、頂上が何処にあるかは判らないが、踏み跡を只只管歩く、すると頂上らしきピーク上の隆起を幾つも越さなければならなかったことだ。これはもう流石に頂上だろうと歯を食いしばり辿り着いたピークは、後追い学問で郡大山北峰だったのだと思う。

更に、この記事を書く為に、台湾サイトで地図を渉猟していたら、このダイヤグラムに出遭う。望郷山から郡大山北峰の間に、3051峰、3167峰、3256峰の三つのピーク!肝心の郡大山山頂は、北峰を越し、これら複数の三千メートルピークを共用する稜線の最も南端のピークだった。やれやれ。。。(続く)

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2014年02月01日

郡大山−4

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【写真説明】南下する長い稜線の最後の一段は、笹のトンネルだったような記憶がある。そろそろ夜が明け始め、日の出時には何とか三角点と同じ位置に立ちたく、同行者を振り切り走り出した。日の出はデジカメのデータに依ると凡そ六時半、頂上からの眺望にも絶句したが、同時に頂上ぐるりの白銀の世界には息を呑んだ。。。もう一度繰り返すが、ここは台湾、郡大山頂上から南東指呼の間に聳える新高山群峰のほんの南側に北回帰線が走る。

今回は郡大山頂上からの眺望を三枚選んで掲載した。左写真は、頂上に雲を抱いた夜明け時の旭日に染まる新高山(玉山主峰)。中央写真は郡大山頂上から西側、阿里山山塊の眺望、同写真最奥の稜線の最高点は、大塔山(標高2,663メートル)。右写真は、同頂上から東側の眺望、鹿野忠雄が愛した無雙山(3,231メートル)、東郡大山(3,619メートル)、東巒大山(3,468メートル)を含む中央山脈大山塊。下掲写真は、郡大山二等三角点。(続く)


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2014年02月22日

郡大山−5

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【写真説明】毎年雪山に登攀する機会に恵まれている日本のハイカーには、氷雪の類は鑑賞の対象としては左程興味をそそられるものではないかもしれないが、ここ台湾では、うっすらと霜が降りるとか、薄い氷が張るとか―そんな些細な冬の悪戯に甚く感激してしまう。その意味では、元旦の郡大山山稜は、我々に超豪華な贈り物を授けてくれた。「些細な冬の悪戯」を縦長写真四枚で構成した。(終り)
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2014年03月15日

郡大山−6

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【写真説明】左写真は2014年2月現在の曾ては林務局護管所だった建造物の最新の用途を示す木製プレート。以前は予め入園申請してこの地の宿泊許可を取る必要があったが、今現在は、宿泊施設として必要不可欠な水の供給が、水源崩壊で不能な状態になっている為、開店休業状態だ。それでも快適な睡眠とトイレが確保されるので利用する登山客は相変わらず多い。中央写真は、廃棄された郡大林道上から南方面を望む。正面は八通関山西峰。右写真は、郡大林道の一風景、曾てここを自動車が通行していたことを物語る標識。下掲左写真は、観高登山サービス・センターと観高駐在所跡・観高坪を結ぶ登山道、「中の線」の生き残り。同右写真は、観高坪。同写真右側に写る指導標をそのまま少しだけ下ると今はヘリポートになっている観高駐在所跡。此処から八通関までは以前は約一時間の緩い登り、今は、その間が壊滅的な崩壊(この為、登山サービス・センターへの水供給がストップ)を起こしており、八通関山西峰北面を高く大きく巻いて八通関に降りる。その間四時間半の苦闘。。。
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2018年12月22日

郡大山−7

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【写真説明】郡大山再登攀記である。初登が2005年1月、再登が2018年4月。再び登ろうと考えた深い動機は無い。天気さえ良ければ、絶景が約束されているので、それだけで十分だろう。但し、興味を持って確認したかったのは、厳格を極めた郡大検査所(検問所)から登山口迄全長30余キロの郡大林道の道路状況、途中の林務局望郷工作站構内にある祠(神社)の確認、登山口にあった同じく林務局の工寮(作業所兼宿泊所)がどんな状態になっているか?等々で、登山自体は初登の2005年の体験が余りにも強烈で、又当時は冠雪していたので、今回は只々晴天を祈るのみであった。省道21号線(新中横公路−最高点は玉山登山口タータカ:塔塔加)沿い、十八重渓との公差点にあった郡大検査所は、閉鎖され(左、中央写真)、加えて21号線自体が台風被害で移設されていた。郡大林道を利用する登山の検問所は22キロ先の望郷工作站(右写真)に移されている。と云うことは、最寄りの南投県信義警察署で入山証を取得せずとも、この台湾有数のスーパー林道には入れると云うことだが、現地人のガイド無しでそうすることはお薦め出来ない。今回筆者もアルコールを毎日の活力の素にしていらっしゃる通称村長候補のブヌン族の方に運転をお願いした。(続く)
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2019年01月05日

郡大山−8

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【写真説明】2019年新年の挨拶は、筆者別ブログ『台湾古道』のそれで替えたいので参考にして頂きたい。要はよぼよぼ歩きに転じては、台湾百岳登攀は諦めざるを得ないと云うことである。「郡大山−1」掲載中央写真で紹介した林務局望郷工作站(正式には「林務局、南投林区管理処、水里工作站、望郷分站」)内の巨木袂に小さく写る日本式祠は何者か?前回何故この1枚しか撮影していないのか?思い出せないのだが、今回全容が判るように撮影してきた。この祠の歴史情報は、台湾サイト内でも乏しい。情報ソースは不明だが、建立年は1923年(大正12年)、「望郷祠」、或いは「望郷遥拝所」が呼称か?「望郷」の意味は日本語そのもので、日本時代から使われていたことは既に本ブログで書いた。台湾サイト内に「台湾株式会社桜井組」が1933年(昭和8年)、望郷山紅檜(ベニヒ)伐採事業開始との下りあり。時間が合わぬが、信頼の置けるソースを探し当てたら新ためて紹介することにする。左写真に写る巨木(樹齢1,200年)は従ってベニヒである。(続く)
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2019年01月19日

郡大山−9

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【写真説明】郡大山登山口までは32`強、初回は自身で運転し入山したのだが、今回村長候補に運転して貰いながら、当時は無謀な事をしたものだと我ながら感心すること頻り。「郡大別館」として重宝されていた工寮は十余年前はまだ小屋として機能していたが、今は身包み剥がされた無残な呈を晒していた(左写真)。登山口(中央写真)は玉山箭竹を潜り抜けるようなイメージを持っていたが、全く異なっていた。第一のマイルストーンである望郷山三角点迄は近かった。登山口を過ぎ林道を暫く辿った松林で、帝雉の番(つがい)に出会った(右写真)。イギリスの鳥類学者、ウォルター・グッドフェローに依り、1906年(明治39年)に発見、学名が、Syrmaticus mikado(Symaticusはヤマドリ属)、日本(英語も)では従って「ミカドキジ」、台湾高山固有種、現千ドル札の図柄にもなっている。国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストではNT (Near Thretoned)扱いなので、良く見掛けるが、番で見たのは記憶に無い。筆者が真面な撮影が出来たのは初めて、動きは緩慢だから。ミカドキジは美しい―キジの帝王に相応しいので、この古い日本語が学名に入ったのだと筆者は合点したのだが。。。待てよ?ウィリアム・ギルバート脚本、アーサー・サリヴァン作曲によるオペレッタ『ミカド』がロンドンで初演されたのは1885年(明治18年)、その後イギリスで爆発的な日本趣味、所謂「ジャポニズム」が勃興、ミカドは日本の代名詞となる。つまり、ミカドキジのミカドは当時日本の統治下にあった台湾への逆輸入ではないだろうか?
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2019年02月02日

郡大山−10:「郡大山−9」修正記事

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【写真説明】今年の春節休暇の初日(02/01)、旧台湾小百岳の一座である八仙山登頂を目指すべく、台中市和平区の八仙山国家森林遊楽区に入った。遊楽区内にある旧神社跡付近で前回投稿掲載写真と同種の雉の番に遭遇、今回はかなり明瞭な撮影に成功したので、春先から転がり込んで来たこの幸運に興奮し、直ぐに数人の知り合いに自慢すべく、ミカドキジとして携帯で今回掲載写真を配信した。その後、何時もの通りトレーニングがてらに高雄市旗山区の旗尾山に登り、頂上の涼亭に掛けられていた今年の彰化銀行のカレンダーを捲っていたら、あっ!と驚いた―筆者がミカドキジと信じて疑わなかった台湾固有種の優美で豪華な雉は、実際は台湾での正式名称「藍腹鷴(「閑|鳥」) 」、ミカドキジとは別種である。世界にその存在を知らされたのもミカドキジに比べてかなり早く、1862年(文久2年)、同じくイギリスの鳥類学者、ロバート・スウィンホーに依る。学名は従って、Lophura swinhoii、この為英語での通称は「スウィンホーのキジ」(Swinhoe's pheasant)。 では日本語では?ウィキペディアの台湾鳥類の日本語版と中国語版を比較すると「サンケイ」、恐らく「山鶏」だと思う。台湾の知人に依ると、「鷴(「閑|鳥」) 」とは正に山の鶏の意味だそうだ。個体差はミカドキジの方がスウィンホーのキジよりやや大きく、後者が背中と尾に目立つ白色羽があること、それと後者の足が赤いことぐらいか?大体当の台湾人ですら、双方の区別が付かない人々が多いのはネットを渉猟していると判る。生息地域・高度も重なるようであるが、筆者の推測では、ミカドキジの生息高度の方が高いのではと想像している。IUCNのレッドリストでも両者はNTランク、台湾千ドル札の図柄はミカドキジだが、両者、青、赤、白地(中華民国国旗、青天白日満地紅旗に同じ)を纏うので国鳥扱いであるのに変わりは無い。いずれにせよ、筆者のミカドキジ追跡の旅は続くのである。(終り)

[再修正記事:02/12/2019]→二つの投稿の掲載写真を並べて見れるので、改めてそうしてみた。そして又驚いた。郡大林道で筆者が撮影した番は、実にミカドキジである!尻尾の色模様と足を八仙山のものと比べて欲しい。両者は異種である。
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2019年02月16日

郡大山−11

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【写真説明】郡大山登山道に取り付く前日、登山口より先の郡大林道を歩いてみた。目の覚めるように美しい台湾二葉松の木立を抜けると、33`の標示板が現れ、更に進むと、林道は崩壊、車もバイクも通れない。但し、踏み跡が明瞭である。『台灣全覧』を開いて看た。林道は郡大渓方面へ向かう。無雙山(百岳第71号:3,231b;マシルカ山)登山口が45.3`、郡大渓沿いに「郡大渓警備道(中之線古道)」の標記がある―鹿野忠雄『山と雲と蕃人と』の世界!郡大林道33.5`の崩壊部は、筆者にとり夢の世界への入口。。。郡大林道は総延長約90`、これに支線が加わる。無雙山登山口を過ぎて後は、林道は南下、八通関古道西段(=玉山登山道)の観高まで至るが、無雙山登山ルートと郡大渓警備道が交差して後の『台灣全覧』からは、中之線古道の標記は消えてしまうが、筆者が想像した通り、郡大林道と中之線古道が重なっている部分があると云う証左であると思う。その後、泰斗楊郡南亡き後、台湾古道研究の牽引車である鄭安睎博士の1998年の「中之線警備道」踏査メモを読んだ。この踏査行も、無雙山登山道から北側半分、南側観高までの部分は「從八通關古道的觀高走到丹大林道的三分所,走完整段行程。然而我們這次活動的起點改從無雙開始,一來為了縮減時間,二來略過觀高到無雙這一段不確定的路段。」と記されている。(続く)
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2019年03月02日

郡大山−12

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【写真説明】望郷山から郡大山主峰までの稜線と眺望は初回の登攀の際、堪能し尽くしたと云う鮮烈な記憶があるので、当時の印象を掻き集めながら登山道を辿ったのみ。既に4月であり暑い。馬酔木(あしび)が満開だった。今回の登攀の際、初回時は恐らく見逃していたものを三枚選び出した。左写真は稜線上の池塘(天池)、既に水は干上がり蒐場(ぬたば)となっていた。主峰頂上には、二等三角点以外に森林三角点(中央写真手前)も埋定されていた。馬酔木もこれだけ繁茂すると背景の玉山連峰に引けを取らない。(終り)
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