2016年04月09日

西合歓山

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【写真説明】寂しい限りだが、西合歓山に関する投稿記事は一回切りにすることにした。頂上の三角点の写真を除いては、西合歓山を簡便に紹介出来るような写真が残っていない。西合歓山山頂に着いた後、すぐに大雨に見舞われ、復路、その大雨と格闘していたと云うだけでは無く、往路も頂上がどれくらい先にあるのか見当が付かず、相当焦っていたかもしれない。西合歓山の山容すら良く紹介出来ないのは、誠に残念だ。前回投稿の俯瞰図と今回掲載の一枚だけで我慢して貰うしかない。左写真は、北合歓山頂から西合歓山方面稜線を望んだもので、俯瞰図と同イメージである。稜線最奥の最高点が西合歓山頂上か、さらにその先に僅かばかり覘いている少し低い稜線付近が頂上か、実は判然としない。要は、北合歓山よりかなり標高を落としている。尚、同写真後方の豪快な稜線は白姑大山連峰。但し、雪山山脈上の稜線と重なっている部分もあるかと思う。中央写真は、北合歓山頂上を後にし西合歓山へ向かう登山道から北合歓山頂上方面を振り返ったもの。片側が笹に覆われたスロープ、片側が断崖と云う台湾高山の典型的な地勢。右写真は、西合歓山三角点。同写真奥は北合歓山へ繋がる稜線。(終わり)
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2016年03月19日

俯瞰図:西合歓山

[←俯瞰図はココをクリック]

北合歓山登山口から北合歓山を越えて西合歓山頂上へ至り、そのまま同じ登山道を北合歓山登山口まで戻って来るのは、一日コースである。

事実、2003年当時筆者もそうしたのだが、恐らく早朝五時過ぎには出発したはずで、出発後暫くして撮影した写真の時刻から想像出来る。優に八時前には北合歓山頂上に到着、その後、西合歓山頂上に至ったのが丁度十一時である。これらの時刻から、当時は歩行時間として往復約十時間を目論んでいたと思うのだが、登山口に戻って来た際の時刻を推定出来る写真が残っていない。西合歓山に到着した直後から大雨に見舞われ、登山口に戻るのに必死だったことを思いだす。同行者に依れば雹も降って来たと謂うが、これは記憶に無し。

何が言いたいかと云うと、北合歓山までは天国的な眺望を堪能出来ても、西合歓山まで足を延ばすとなると、相当な覚悟が要ると云うことである。

中華民国山岳協会の百岳路線図から歩行時間を拾うと、以下の通りになる:

登山口→北合歓山(100分)→西合歓山(185分)→北合歓山(215分)→登山口(75分)

つまり、北合歓山の往復だけであれば、三時間程度でOKだが、北合歓山頂上を起点とした西合歓山往復に七時間を要してしまうと云うことである。北合歓山から西合歓山へは、標高差が約三百メートルあるので、基本下りである。

但し、下り一方では無い。そのせいで、目指す西合歓山の頂上が何処なのか?ついぞ判らぬままにひたすら我慢して頂上まで辿り着いた。事実、特徴の無い山容で、通常は一度登頂して仕舞うと、その後は遠方からでも特定出来るものだが、今以て西合歓山を指し示せずにいる。

今回の俯瞰図は、北合歓山頂上上空から真西を俯瞰、西合歓山三角点が、北−西合歓山稜線上の一番最後にあることを示した。次回、再登攀の機会に恵まれた際に、心理的な圧迫を最小限に出来るようにとの願いを込めて。(終わり)

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2016年02月27日

北合歓山−2

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【写真説明】北合歓山だけで少なくとも三本は投稿記事をアップ出来るだろうと踏んでいた。登頂したのが十年以上前とは謂え、鮮烈な天国的な眺望の記憶がどんどん拙い文章を膨らませてくれるものと思い込んでいたのだ。当時撮影した写真を繰ると単調なフレームの連続になっいるのに気付き、逆に弊ブログの読者に供してしまっては退屈になるだけだと悟り、今回掲載した三枚を以て、北合歓山の投稿は終えることにした。左写真は北合歓山山頂三角点と雪山山脈、稜線最高点が雪山主峰(次高山、標高3,886m)、その最高点から右側稜線が沼井鐵太郎命名の「聖稜線」。中央写真は頂上から南東方面、奇來山連峰稜線、最高点が奇來主山(百岳20号、3,560m)、台湾一奇と称される奇來山連峰で最も著名な奇來主山北峰(百岳16号、3,607m)は同写真左枠外になる。右写真は、北合歓山頂上から合歓山主峰稜線越しに真南方向の眺望、同写真右奥に玉山(新高山)連峰が明瞭に写り込んでいた。(終わり)
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2016年02月06日

北合歓山−1

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【写真説明】前回投稿で「天空と広大な草原(玉山箭竹)がその境界を競うかのような大空間」と云う表現を呈したが、今回は聊かでもそのイメージを模するに適した写真を探してみた。左写真は、登山口から一時間弱程の登り後の登山者の背中、南側の眺望、北合歓山登山の為の大道具揃い踏みの感あり。中横、太魯閣国家公園管理処兼ビジターセンター、付属駐車場が人工物。同写真右後方の最高点が合歓山東峰(標高3,421m)、その手前崩壊部を曝け出しているのが、石門山(同3,237m)、同写真左奥の稜線は中央部の最高点、奇來主山(同3,560m)を盟主とする中央山脈北三段。中央写真は登り約一時間半付近の北合歓山頂上方向の展望。右写真は同地点から北東方向の眺望、所謂中央山脈北一段の雄渾無比の核心稜線。同写真最奥の最高点が南湖大山(同3,742m)、その手前稜線の尖峰は中央尖山(同3,705m)、同写真右側に抜ける黒色の稜線は屏風山(同3,250m)北側。(続く)
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2016年01月16日

俯瞰図:北合歓山

[←俯瞰図はココをクリック]

明けましておめでとうございます。今年も引き続き弊ブログをご贔屓賜るようお願い申し上げます。

筆者姉妹ブログ『台湾古道』は昨年度度々中断はあったが、何とか週刊だけの格好は付けて歳を越せたが、本ブログは半年以上の大きなブランクを残して歳を超す決断をした。以前、本ブログの書き出し後暫くして、二年のブランクと云う大穴を開けた実績があるのだが、何も三週間置きの投稿に拘ることはないかと小心者の筆者自身の気持ちをやっと落ち着けた。それでも今年は従来の三週間に一回投稿のペースは守る積りだ。

何故、半年ものブランクが出来てしまったかは、『台湾古道』の方で詳しく書いたので、その事情はここでは端折る。要は機会が巡り来たり、丁度十年振りに又台湾でサラリーマンとして働き始めたのだが、体と気持ちが付いて行かず、混乱の極みにあったからだ。台湾百岳は凄く近くになったにも拘わらず、だ。

合歓山連峰の三座目は北歓山、或いは合歓山北峰、この稿を起こすに当たり当時撮影した写真のフォルダーを見返して見たら、何と2003年7月である。爾来、中横(中部横貫公路、省道14号線)脇に開いた登山口横を頻繁に往復しながら、北合歓山に実際登ったのは其の時限りなのに、新ためて驚いている。

二度と登りたくない山と云うものは、その標高に拘わらず幾らでもある。北合歓山もその部類の山か?と云うと全く逆である。

高雄からでも早朝に出発、山頂の往復のみであれば、同日中に又高雄に戻って来るのは可能だ。登山口脇に駐車可能、登山口から山頂まで登り二時間弱。。。加えて、その間、背負う風景は台湾山岳の美が凝縮されていると謂うしか無い。頂上と云う目立った突起物は無い。天空と広大な草原(実際は玉山箭竹)がその境界を競うかのような大空間があるだけである。三百六十度の展望という表現があるが、この北合歓山の頂上空間を凌駕するような展望があるだろうか?又、登ろう、それも今年中にという思いが沸き起こって来るのは珍しいことだ。十五年近く、一体私は何を考えていたのだろう。。。

今回掲載した俯瞰図は、中横脇の登山口も含め北合歓山南斜面上空から。登山道が明瞭だ。尚、ビジター・センターの中横越し下に駐車場があるが、当時はここにテントを張るのは許可されていたが、今はどうだろうか?合歓山連峰すべてを短期間で攻略したいのであれば、極上の基地となる。(続く)
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2015年06月20日

合歓山東峰−3

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【写真説明】今回は些か百科事典的なコメントになる。東峰に登頂した際、筆者がその可憐さに甚く心動かされたのは、今回掲載した写真に写る花である。その後その花の名前を調べた上で暫くは覚えていたはずだが、この記事を起こすに当たりすっかり失念しており、新たに調べた次第。日本の高山植物に通じておられる方は、直ぐにこれがマツムシソウ(松虫草)であることが判る筈だ。ウィキペディア日本語版だと、松虫草は日本固有種という表現がしてあるので誤解しがちだが、マツムシソウ属とすると世界に七十種程度存在、日本のものは台湾を含む中国大陸南部から北上したものらしい。筆者のパソコンだと「まつむしそう」とタイプしても「松虫草」としか変換されないが、日本のネット上で見ていると、松虫草と「山羅葡」が併記されている。台湾種の松虫草、つまり写真に写る主は台湾では今は「玉山山羅葡」と表記されるが、日本語ではニイタカマツムシソウ、学名に「Hayata」、即ち、早田文蔵の名が冠せられているので、台湾現代表記より相応しい。因みに「羅葡」とは大根(ダイコン)のことだ。更に、大根の古名は春の七草の一つ「スズシロ(清白)」、筆者のパソコンは「すずしろ」とタイプし変換すると「清白」ではなく「羅葡」が出て来る。(終わり)
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2015年05月30日

合歓山東峰−2

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【写真説明】今回は実際東峰を登ることにしよう。東峰頂上への登山道は複数本あるが、最も判り易い登山口は、合歓山荘(旧石門駐在所跡)の中横を隔てて真向いで、登山口表示板が立つ。それが左写真である。往復九十分、登り一時間、下り半時間という塩梅だから、登山経験が無くとも往復可能、台湾の一つの天国の展望台に立てるのだ。中央写真は、「合歓山越嶺古道−9」に掲載した写真の焼き直しである。この正規登山口からの登山道が贅沢な理由は、台湾を代表する氷河遺跡である、合歓尖山(3,217メートル)、台湾で唯一のホルン(氷食尖峰)を背負いながらの登山になることだ。右写真は頂上山塊。下掲写真は、北合歓山をバックにした頂上を示す石積、東峰は基点無し。(続く)

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2015年05月09日

合歓山東峰−1

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【写真説明】同じ言い訳を繰り返すことにまるが、合歓山に関する今後の記事も淡々と写真を並べて行くに留めることにする。又、掲載写真の一部は特に弊『台湾古道』ブログの「合歓山越嶺古道」シリーズで掲載した写真と類似していることも断っておく。今回の掲載写真は、主峰より遥かに見映えのする東峰という形容を前回の紹介でした限りに於いては、全く貧しい限り、筆者のカメラ・ワークの限界だ。左写真は、昆陽冬季救護センター(旧合歓山駐在所跡)から望む東峰南面、2012年10月撮影。中央写真は、武嶺(旧佐久間峠)展望台越しに臨む東峰西面、その頂上は指呼の間にあり、頂上まで踏み跡もよく見えている、左写真と同一時に撮影。右写真は、北合歓山(北峰)登山道途中から望む東峰北面(同写真最奥)、2003年7月撮影、東峰下方で崩壊部を露出させているのは、石門山(百岳70号、3,237メートル)同写真右側の大きな塊は主峰、又、写真左中央に写る建築物は、合歓山ビジターセンター。「合歓山越嶺古道−2」掲載写真とほぼ同地点から撮影。(続く)
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2015年04月18日

俯瞰図:合歓山東峰

[←俯瞰図はココをクリック]

合歓山東峰はこれまで何度も讃嘆して来たように、合歓山御本尊たる主峰に比べると遥かに見映えがする。同時に、実際登っても、三千メートル峰登山の醍醐味を実に瞬時にして体得出来る。今回のダイヤグラムのグーグル・アースの垂直方向のスケールは+50%に設定し東峰の重量感を誇張したのだが、実際実物の存在感そのものだと自画自賛している。

「瞬時」という表現をしたのは、少なくとも三箇所ある登山口の標高はどれも既に三千メートルを越えていること、もう一つは、何処の登山口を選択しようが、登り始めた瞬間から一切の遮蔽物無しの超豪華眺望が約束されていることである。無論、登山当日快晴に恵まれるという実際はこの登山そのもの―頂上までの登攀時間は一時間も掛からない―より遥かに厳しい条件をクリアすることが条件だが。

今回掲載したダイヤグラムは東側からの俯瞰図である。霧社から中横を登り切り最初に視界に飛び込んで来る東峰雄姿は南面、その後中横は東峰西側の山裾を巻いており、加えて、主峰も東峰の西側にある。更に、中横は北側方面へ下って行く為、合歓山荘横のビジターセンターに車を停め、そこから東峰東面を巻く遊歩道、即ち奇來山方面への登山道を辿らない限り、一般の遊楽客は東面から東峰を仰ぎ見る機会が無い。それ故、東面俯瞰を選んだ。(続く)
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2015年03月28日

合歓山−3

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【写真説明】合歓山は簡便に登れるという理由と多分大いに関連して、山容そのものが愛でられるということはないようだ。実際、このブログ記事に適当な合歓山自体の写真を探したのだがなかなか見付からない。「台湾古道」、「台湾百岳」の弊双方ブログに合歓山を含む合歓山連峰の眺望写真は多数掲載してきた。ところが合歓山の近影は皆無だ。と云うより、筆者自身が意識してカメラを向けた記憶が無い。今回、やっとこれら今回の記事に掲載した写真を見付けて来た。左写真は、2012年10月撮影、中横から望む合歓山頂上付近の稜線のスロープと登山道。同写真左下に写るのはナナカマドのはずだが、紅葉までもう少しの状態だ。中央写真は、2005年11月撮影、合歓山頂上への登山道から望む同山南面の断崖部、合歓山も台湾山岳の一大特徴である片側が笹に覆われたなだらかなスロープ、片側がそれとは対照的な断崖という地勢を呈している。左写真も中央写真と同日中横から撮影した合歓山北面。(終わり)
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2015年03月07日

合歓山−2

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【写真説明】「合歓山−1」で掲載した写真は、「初登頂」の日の天候が悪く、従って筆者自身の到達感も薄かった。何処でも何でもそうであるが、天候に恵まれること程、嬉しいことは無い。今回は正規登山口ではなく、ローカルな登山口を紹介することにした。ローカル、即ち間道で、こそこそ隠れながら入り込むとイメージだが、この合歓山主峰への間道は、武嶺駐車場脇に堂々と開けられており、しかも、国家公園管理処が立ち入り禁止の標札を掲げているにも拘わらずである。理由は、正規登山口より登頂時間が少なくて済むからである。上掲左写真はそのローカル登山口に掲げられた「自然環境保護の為に進入禁止!」の看板。中央写真はそこから這い上がり合歓山頂上が望める場所まで来た瞬間の眺望。右写真は頂上で記念撮影する登山者。

現在合歓山頂上には頂上を示す物が三種、一つは上掲右写真の登山者が中央で抱いているステンレス製の指導標、二つ目は、下掲載左写真の地面に埋め込まれた指導標、そして下掲右写真のように、今は日本時代陸地測量部が埋設した三等三角点も開放されている。以前は前回紹介したように、金網に囲まれた気象観測施設の中にあり台湾登山者が登頂直後よくやる三角点タッチ!が出来なかった。(続く)

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2015年02月14日

合歓山−1

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【写真説明】初めて合歓山に登頂(と言えるか?)したのは2002年6月、今回掲載した写真はその時撮影した登山口と頂上の様子だ。上掲左写真は、省道14号甲線沿線にある合歓山への登山口。表示板にあるようい往復1時間はちときつい。上掲中央写真は合歓山頂上の気象計測施設。同右写真は当時頂上付近は観光の為に新規の意匠を新設中、つまり登山道とは名ばかりで実は工事道路も兼務していた。下掲左写真は頂上、当時はこの立ち入り禁止エリア内にある三等三角点を確認出来ず、代わりに同エリアでバカチョンで撮れる場所にあった有志の自家製頂上指導標、記載の標高3,416メートルは57年版、現在は+1メートルが正規標高である。
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2015年01月24日

俯瞰図:合歓山

[←俯瞰図はココをクリック]

合歓山、並びに合歓山連峰に関しては、既に別ブログ『台湾古道』の「合歓山越嶺古道」で、その魅力に関し言い尽くしてしまった。それらブログ記事・写真の集大成が『台湾古道』ブログ左メニュー「日経ギャラリー」最終回第4回目の記事である。それで、今後暫く投稿されるこの台湾百岳ブログ記事中では、台湾百岳登山の入門コースたる合歓山と合歓山連峰の紹介は写真中心と為らざるを得ない。というか、たった今書いてるこの時々も、色々な合歓山連峰の視覚的なイメージが想起し収拾が付かない有様、今更何を書けばいんだという投げやりな気分に囚われる。

今回掲載した俯瞰図は、「日経ギャラリー」第4回目記事の最初の見開きページにある北合歓山(合歓山北峰)から真南を俯瞰した写真と南北対象にすることにした。通常は紹介する各山塊を対象にした俯瞰図を作成・掲載して来たが、今回はこのイメージ以外のアイディアが出て来なかった。

今回掲載のダイヤグラムは、従って、合歓山を中心に合歓山連峰を真南から俯瞰した図である。ダイヤグラムの下端は、日本時代開削の「合歓越道路」をほぼ忠実に踏襲した霧社を起点とする省道14号甲線、通称「中横」(中部横貫公路)霧社支線が、蛇行を繰り返しながら標高三千メートルを越えようとして、タロコ国家公園の境界碑を正に越えたその先に広々とした駐車場を従えた冬季救護センター(要は臨時派出所)上空である。嘗ての合歓山駐在所跡地である。ここからの、と言うより、国家公園の境界碑を過ぎた瞬間、眼前に飛び込んで来る合歓山東峰南面の圧倒的なスケールは余りに唐突で、衝撃的だ。。。「台湾古道」ブログ中では恐らく複数回同じことを喋っている。

同ダイヤグラム中央の、今現在武嶺と言われる台湾自動車道最高点が嘗ての第五代台湾総督佐久間左馬太のタロコ征伐に因む佐久間峠で、主峰たる合歓山と東峰の鞍部であり、ここを越えて降り切った場所に、合歓山荘があり、日本時代の石門駐在所跡地である。今回掲載のダイヤグラムも「日経ギャラリー」第4回記事の見開き写真も、主役は合歓山(主峰)と合歓山東峰、それら稜線の鞍部たる台湾自動車道最高点たる武嶺、旧佐久間峠を乗り越す旧合歓越道路、現在の省道14号線甲線、通称中横霧社支線なのである。

三千メートルの稜線には独特の風の声がある。この声が聞こえだすと私の皮膚は泡立つ。それは登山の話をしているのだが、読者は登山の経験が無くとも、この省道14号線甲線をお好みのスピードで走り他のドライバーの邪魔にならない場所に車を止めて耳を傾けるだけでいいのだ。

登山に興味のある弊ブログ読書の為に申し添えておくと、ダイヤグラム上の合歓山四峰は丸二日あれば完登出来る。西合歓山(合歓山西峰)のみが日本第二の高峰南アルプス北岳より低いだけだ。(終わり)
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2015年01月03日

秀姑巒山−5

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【写真説明】秀姑巒山山塊をそれと意識して撮影したものがないかどうか?探してみたが、既に「大水窟山−7」で紹介した2003年4月撮影のものしか無い様だ。それで、秀姑巒山の記事の締めくくりは、既掲載写真と同時に撮影したものから、丁度旭日が秀姑巒山山頂に掛かった時(6時21分)の写真にて2015年初日出を真似、新年の挨拶に替えさせて頂きます。今年も弊ブログをご贔屓賜るよう何卒宜しくお願い致します。(終り)
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2014年12月13日

秀姑巒山−4

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【写真説明】秀姑巒山山頂から撮影した写真はこれまで以下の記事の中で掲載してきた:

*『「台湾百岳」について−2:標高と序列』(三角点と頂上標識);
*『八通関古道−5』(八通関古道東段俯瞰);
*『大水窟山−7』(大水窟方面俯瞰)。

肝心の陸地測量部埋設の三角点写真(加えてマボラス山が写り込んでいる)の掲載すら完了しているので、今回紹介に耐えられるような写真は少ない。左写真は、秀姑坪から秀姑巒山山頂に至るまでの二時間の苦闘中撮影した唯一の一枚。何の変哲も無い写真だが、この間がどんな登りだったかを思い起こさせてくれる。何時もの通り、同行者は放りっぱなし、自分を急かしながら只管休息もせず登る。。。そういう芸当もそろそろ限界が来ているのだが。右写真は、手前の塊が秀姑巒山山頂、その奥、右側に写る尖峰が八通関大山、最奥の稜線は玉山連峰で、南峰〜北々峰を含む全嶺が写り込んでいる。八通関大山の写真右端に下る稜線の先には観高坪が酷く明瞭に見て取れる。二枚を合成したこのパノラマ写真を閲覧いただきたい。同写真中央部の稜線鞍部がそれである。玉山山脈と中央山脈の関係、八通関大山を含む山稜の位置が良く判る。右写真は、マボラス山(ウラボン山、同3,765メートル、百岳7号)断崖。下掲写真は、玉山圓柏白木群越しに新康山(標高3,331メートル、百岳46号)を俯瞰する。(続く)


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2014年11月22日

秀姑巒山−3

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【写真説明】秀姑坪は、台湾三大白木林群の一つである。残りは、玉山西峰と雪山、筆者自身は秀姑坪には一番最後に往き付いた。ここに掲載した三枚は、噴飯ものなので余興として取り扱っていただきたい。左写真は、秀姑巒山を目指す場合、秀姑坪白木帯の入口、掲載した写真三枚の奥に写る稜線は秀姑巒山と峰続き、頂上はいずれも写真右側。(続く)
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2014年11月01日

秀姑巒山−2

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【写真説明】白洋金礦山屋から中央山脈稜線上鞍部に為る秀姑坪までは、写真で見る薄く割けた岩板の急斜面である。本当は、ここで白洋金礦山屋とその下を流れる鮮烈な沢の写真でも挿入するのが常套手段だろうが、写真自体が残っていない。
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2014年10月11日

秀姑巒山−1

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【写真説明】(左写真)中央金礦山屋はこの山の頂上の丁度真南山腹に位置するが、八通関から古道をバナイコ避難小屋、中央金礦山屋へ歩を進めると良く見えて来る。バナイコ山(3,327メートル、巴奈伊克の漢字を充てる)であるが、当時秀姑巒山を目指した時は、この山を秀姑巒山と見做しその尖峰までの距離を縮めるのに腐心した。玉山山脈に属するが、中央山脈の秀姑巒山とは確かに峰続きである。中央写真は、中央金礦山屋〜白洋金礦山屋間の灌木帯を抜け、台湾最高点玉山連峰全稜線を正に背負うように登攀する地点下。右写真は、白洋金礦山屋下からの玉山連峰全稜線、同写真左から、南峰、主峰+東峰、北峰、北々峰。。。
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2014年09月20日

俯瞰図:秀姑巒山

[←俯瞰図はココをクリック]

秀姑巒山に関しては幾つか百科事典的な叙述に換えようかと思う。

まず、地理学的には、台湾中央山脈の最高峰で富士山より高い。日本時代は暫く、現在の玉山山脈も中央山脈の一部と考えられていたが、後、分岐された。この辺りの経緯は何処かで詳しい解説を閲覧したことがあるのだが、今は在り処が判らない。いずれにしても、現場を歩いても、何処で分岐しているのかは俄かには判じ難い。その判じ難さは今回掲載した俯瞰図でも判るが、秀姑巒山とマボラス山は中央山脈に属するが、八通関山は玉山山脈に属する。便宜的には、北は陳有蘭渓、南は荖濃渓で両山脈は東西に分岐される。これまで紹介して来た台湾百岳の中では、八通関大山以外には、西巒山と郡大山が玉山山脈に属する。

今現在は、「秀姑巒」は山名の他は花蓮県豊浜郷港口村から太平洋に注ぐ河川名として残る。この同村の旧名も秀姑巒だった。

「秀姑巒」(しゅう・こ・らん)という三漢字の組み合わせは、何か幻想的な意味合いを想像させる。実際は、原住民語の漢字音訳が変遷して来たものであることは、中文版ウィキペディア「秀姑巒渓」にかなり詳しい解説がある。同じ解説は日本版には無く、又、台湾のサイトでもなかなか行き当らない。安倍明義の『台湾地名研究』にも出て来ない。

そのウィキペディアの解説だと、秀姑巒渓の河口にある「小島」(日本時代の弁天島、今の獅球嶼か?)をアミ族は河口を意味する「芝波蘭」(漢音訳)と呼んでいたが、その後この漢音表記は変遷し、日本時代は「秀姑巒」となり、そのまま使い継がれて来たとある。秀姑巒渓河口は、秀姑漱石と呼ばれる河岸の石灰石群で有名だが、秀姑巒渓自体は今やラフティングのメッカだ。

日本版ウィキペディアを眺めていたら、以下の下りに行き当たったので、そのまま引用する。

「秀姑巒渓は中央山脈から、一旦は平坦な花東縦谷に流れ下り、その末に海岸山脈を貫いて海に至る。この特徴的な流路は、かつては海岸山脈に源を発する小河川だった秀姑巒渓が、浸食の末に海岸山脈を突き抜け、10万年前に花蓮渓の上流部を河川争奪することで形成された。」

川の流れのように♪という叙情的な川のイメージもあろうが、川同志が争奪戦を演じているとイメージを今まで抱いたことがないので、新鮮だった。秀姑巒渓は台湾海岸山脈を横断する唯一の河川―知らなかったなあ、と云うより、海岸山脈自体に余りにも縁が無さ過ぎるという残念さがある。

さて、肝心の山の方に戻ろう。これは恐らく台湾山岳人の間では知られたことだろうが、元々「秀姑巒」という名の山は存在せず、ブヌン語で「マボラス」と呼ばれていたが、陸地測量部(?)が地形図出版の際「誤植」して「秀姑巒」と印刷してしまった。。。と云うような説明がある。では、今現在のマボラス山は元々何と呼ばれていたか?「ウラボン」である。

今回掲載の俯瞰図は、余りにも平凡に思われたが、方向感覚の喪失に長年悩まされていた、観高と対中央山脈最高峰群、そして八通関大山の位置関係を明確にする為に描画したのだが、実は、観高坪のヘリポートから東側を俯瞰した図に過ぎない。「八通関古道西段-16:観高駐在所」掲載記事最下段に附した写真の焼き直しに過ぎない。(終り)
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2014年08月30日

大水窟山−7

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【写真説明】さてさて、今回2014年度旧正月の大水窟山登山、実は、登頂当時雨と霧に見舞われたので、大水窟山そのものがどのような山容を為しているのか?を目撃する機会は無かった。それで大水窟山に関する記事投稿の締め括りとして、もし、以前に撮影した中で偶々大水窟山が写っているものを探し出せれば、それを掲載して投稿を閉じようとした。二枚出て来た。左写真は、中央山脈最高峰秀姑巒山(百岳6号、3,805m)山頂から、大水窟と八通関古道東段方面を俯瞰したもの、2006年2月撮影。同写真右側に写る稜線の崩壊部を左下に抱えた最高点が大水窟山。中央写真は左写真と同地点からの撮影、大水窟池と山屋を含む大水窟と呼称される大鞍部に広がる草原のズーム。大水窟山屋を写真中央に合わせて撮影、但し、この写真には大水窟山山頂は写り込んでいない。右写真は、玉山主峰(新高山、百岳1号、3,952m)から玉山東峰(東山、百岳3号、3,869m)越しに、中央山脈最高部を望む。稜線左から、マボラス(馬博拉斯)山、秀姑巒山、大水窟山北峰(3,625m)、大水窟山の順、2003年4月撮影。同写真左側、玉山東峰と中央山脈の間に稜線が写り込んでいるが、八通関大山を含む稜線。(終り)
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2014年08月09日

大水窟山−6

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【写真説明】翌朝は幸運にも朝陽に恵まれた。左写真は大水窟中央に位置する山屋からその山屋を含み北側、大水窟山方面を望む。但し、同写真左奥に写る山塊は大水窟山ではなく、前回投稿「大水窟山−5」に掲載の左写真に写る瘤であり、実際の山頂は見えない。中央写真は、大水窟南側、即ち、八通関古道東段方面、最奥に写る最高点は新康山。右写真は、南営地に向かい大水窟を降り始めた地点から大水窟山方面を望む。(続く)
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2014年07月19日

大水窟山−5

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【写真説明】頂上に着いた時点で既に雨の降りは酷かったが、大水窟山屋に向かい東側に向かい抉られている崩壊壁上を下り出すと、雨は横殴りに代わり堪らず合羽を着た。左写真は合羽を着込んだ後一瞬だけ視界が開けた時に撮影したもの。同写真中央奥に写る瘤の左側を巻きながら右下方向に降りて行く。中華民国山岳協会、並びに玉山国家管理処に依ると、大水窟山頂上〜大水窟山屋間の距離は5.3K、但し、現地の指導標では3.7Kの表示、実際1時間15分程度で降り切れたので後者が正しいことになる。この間の落差は約400メートル。左写真を撮った後は小屋に辿り着くまで視界が開けることは無かった。カメラは雨でぐしょぐしょ、それでもこの間の著名な大草原の片鱗を写真に収めるべく何枚かシャッターを切った。その内の一枚が中央写真。左写真撮影から丁度一時間後。右写真は、すっかり干上がった大水窟池。下掲写真は、濡れ鼠状態で到着した時の大水窟山屋、我々一行だけの宿泊だった。(続く)
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2014年06月28日

大水窟山−4

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【写真説明】大水窟山山頂。基点は無い。大水窟山屋と秀姑坪を指す指導標を越えると、小綿羊はそのまま下りに掛かり出したので、「頂上は何処?」、「三角点は何処?」と慌てて引き戻し、撮ったのがこれらの写真。危うく、頂上を踏まずに下山する所だった。雨が強く為り出し、視界は悪く、頂上に到達したのはもう夕方四時、我々は頂上から大水窟山屋までの距離の見当は付いていなかったが、我がガイドは少々焦っていたかもしれない。或いは、どうも頂上はなだらかでスペースがありそうだったので、その中の何処かを踏めば登頂と認められると判断していたかもしれない。当方はとにかく証拠が欲しかった。ところで、中央写真表示板には二つの標高が書かれている。大水窟山標高の変遷は次の通り―(57年版)3,742m→(経建3版)3,642m→(76年再測)3,630m。(続く)
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2014年06月07日

大水窟山−3

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【写真説明】左写真は第1ピークを越えそのピークを振り返った。中央写真は第2ピークに向かう途中。右写真はその第2ピークを見下す。下掲左写真は第3ピークを目指す途中。同中央写真は第4ピークを第3ピークの稜線越しに望む。同右写真は第4ピークを越え、大水窟山山頂への最後の緩い登り。此の時は既に雨が降り出し、霧が出て、方向感覚を見失っていたので、頂上付近がどういう地形なのかまるで見当付かず。しかもこの時は既に小綿羊のGPSのバッテリーは切れていたのではないかと思う。中華民国山岳協会に依れば登山口から頂上まで、高度差約400メートル、1.2K、90分の登り。我々の場合、3時間半、210分を要した。距離はとても1.2Kなどではない。新めて思う―台湾百岳は簡単には頂上を踏ましてくれない。。。(続く)
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2014年05月17日

大水窟山−2

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【写真説明】登山口から尾根への取り付きは急登、まずは真上に聳える岩峰を目指すのだが、薄い岩板の地肌で踏み跡が見付け辛く、その後の低い針葉樹を中心にした灌木帯では完全に踏み跡を見失い、流石の小綿羊も逡巡、GPSに頼り出す。それでも踏み跡になかなか当たらない。この直登コースは最近は殆ど歩かれていないということか?漸く、最初のピークに辿り着く。小綿羊に依れば四つのピークを越さなければならないというが、幾つピークがあろうと、90分我慢すれば良いのだと自分に言い聞かす。左写真はかなり古い目印、数個見付けたが、新しいものは全く見当たらない。中央写真は悪戦苦闘の小綿羊。右写真は、その第一のピークを見上げる。
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2014年04月26日

大水窟山−1

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【写真説明】中央金礦山屋から杜鵑営地、南営地を経由し大水窟に至る間は古道本来の雰囲気を濃厚に残す段でもある。躑躅山駐在所跡地である杜鵑営地まで辿れば、南駐在所跡の南営地、大水窟まで標高3,200メートル内外を維持、この間、4.1K+2.1Kの6キロ強、南営地に近い場所に、大水窟山南尾根沿いに直登する登山道がある―あることになっていた、と表現した方が良さそうだ。この登山口から頂上までの距離は1.2K、時間は90分。。。掲載の二枚はその登山口の様子。
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2014年04月05日

俯瞰図:大水窟山

[←俯瞰図はココをクリック]

私にとっての「大水窟」とは、日本時代開鑿の八通関越嶺警備道の最高点にして、東西段の分岐点である旧大水窟駐在所である。西段に比べて遥かに長蛇な東段はそう易々と踏破は出来ないので、まずは、西段をその東端である大水窟まで辿るというのが、私の中期的な希望であった。

それが、今年2014年の旧正月に叶った。東埔温泉からの入山が許可されたというのが判ってからも、私の今回の山行の主たる目的は、あくまで大水窟駐在所跡までを辿ることであり、それはかなり容易なことだと考えていた。駐在所跡、ネット内を見事なカラー写真で彩る大草原の中の大水窟池とその湖畔に控える山屋、そして大水窟山山頂の位置関係を予め調べることもしなかった。これら三つは簡便なパックだと思い込んで、実際の山行に臨み、まずその前段、つまり大水窟山そのものに取り付く前に大いに困惑し、大水窟山登山そのものに関しては誠に惨めで辛い思いをした。新ためて、筆者の希望通りにそう易々と登らせてくれる台湾百岳は無いということを、今回も痛感せざるを得なかった。

筆者の別ブログ『台湾古道』シリーズでも、同山行を八通関古道西段踏査記録として記事をアップする予定にしている。従って『台湾百岳』ブログでは、大水窟山登頂を中心とした記事で構成する予定だ。

今回作成したダイヤグラムは、観高駐在所跡以降の八通関警備道西段とその駐在所跡の関係を、中央山脈主要山岳位置と組み合わせたものだ。これは『台湾古道』読者の便宜を図るのも目的だ。

ところで、大水窟(だい・すい・くつ)とはどういう意味だろうか?

小学館『デジタル大辞泉』に依ると、「窟」とは;@ほらあな。いわや。「岩窟・石窟・仙窟・洞窟」;A人の集まったすみか。かくれが。「巣窟・魔窟・貧民窟」;B 集まるところ。「理窟」;とある。であれば。一番自然な翻意はBで、字面そのまま、大いに水の集まるところ、ということになり、呆気なく謎が解けたことになるが、実際はそんな単純なものではないかもしれない。追々調べることにする。(終り)

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2014年03月15日

郡大山−6

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【写真説明】左写真は2014年2月現在の曾ては林務局護管所だった建造物の最新の用途を示す木製プレート。以前は予め入園申請してこの地の宿泊許可を取る必要があったが、今現在は、宿泊施設として必要不可欠な水の供給が、水源崩壊で不能な状態になっている為、開店休業状態だ。それでも快適な睡眠とトイレが確保されるので利用する登山客は相変わらず多い。中央写真は、廃棄された郡大林道上から南方面を望む。正面は八通関山西峰。右写真は、郡大林道の一風景、曾てここを自動車が通行していたことを物語る標識。下掲左写真は、観高登山サービス・センターと観高駐在所跡・観高坪を結ぶ登山道、「中の線」の生き残り。同右写真は、観高坪。同写真右側に写る指導標をそのまま少しだけ下ると今はヘリポートになっている観高駐在所跡。此処から八通関までは以前は約一時間の緩い登り、今は、その間が壊滅的な崩壊(この為、登山サービス・センターへの水供給がストップ)を起こしており、八通関山西峰北面を高く大きく巻いて八通関に降りる。その間四時間半の苦闘。。。
[本文へ...]
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2014年02月22日

郡大山−5

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【写真説明】毎年雪山に登攀する機会に恵まれている日本のハイカーには、氷雪の類は鑑賞の対象としては左程興味をそそられるものではないかもしれないが、ここ台湾では、うっすらと霜が降りるとか、薄い氷が張るとか―そんな些細な冬の悪戯に甚く感激してしまう。その意味では、元旦の郡大山山稜は、我々に超豪華な贈り物を授けてくれた。「些細な冬の悪戯」を縦長写真四枚で構成した。(終り)
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2014年02月01日

郡大山−4

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【写真説明】南下する長い稜線の最後の一段は、笹のトンネルだったような記憶がある。そろそろ夜が明け始め、日の出時には何とか三角点と同じ位置に立ちたく、同行者を振り切り走り出した。日の出はデジカメのデータに依ると凡そ六時半、頂上からの眺望にも絶句したが、同時に頂上ぐるりの白銀の世界には息を呑んだ。。。もう一度繰り返すが、ここは台湾、郡大山頂上から南東指呼の間に聳える新高山群峰のほんの南側に北回帰線が走る。

今回は郡大山頂上からの眺望を三枚選んで掲載した。左写真は、頂上に雲を抱いた夜明け時の旭日に染まる新高山(玉山主峰)。中央写真は郡大山頂上から西側、阿里山山塊の眺望、同写真最奥の稜線の最高点は、大塔山(標高2,663メートル)。右写真は、同頂上から東側の眺望、鹿野忠雄が愛した無雙山(3,231メートル)、東郡大山(3,619メートル)、東巒大山(3,468メートル)を含む中央山脈大山塊。下掲写真は、郡大山二等三角点。(続く)


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